制服というと。
♪卒業証書抱いた 傘の波にまぎれながら〜
松田聖子の懐かしい歌など思い出したりして。
上で都立井草高校に制服があったか無かったか訊ねているのは大塚英志『サブカルチャー文学論』の中のこんな記述を読んだからだ。
ここでぼくがかつて目撃した「作家デビューの現場」についてのささやかな光景を回想することにしたい。それは'78年の冬の出来事で、その作家は'80年に始まる「私」をめぐる危機にその時点であらかじめ決着を付けていたのだと、今、彼女の作品を読み返して思わずにはいられない。
'78年の冬、大学二年のぼくは高田馬場の芳林堂書店で不思議な女の子たちの一群を目撃した。一群といっても三人かそこらだったと思う。制服姿で学校帰りと思しき高校生たちだ。彼女たちは書店の一角に平積みになっていた本の前で嬌声を上げていた。彼女たちの会話に聞き耳を立てていると(盗み聞きしたのではなく何しろ10メートルぐらい離れていても聞こえるぐらい彼女たちは元気だった)、どうやらそのうちの一人が書いた本がそこに置いてあるらしい。彼女たちはしばらくすると本の前から離れて誰かがそれを手に取らないか観察を始めた。
ぼくはその様子がどうにも可愛らしくておかしくて、一冊を手にとってレジに持って行った。
手にした本の表紙にはこうあった。
新井素子『あたしの中の…』。
思わせぶりな書き方であるが、その女の子たちの中に新井素子さんご本人がいることを匂わせている文章である。本文を読んでいると404ページ目のここにいきなり作者の個人的体験談が挿入されている不自然さにまず違和感があるのだが、それ以上に違和感なのは「制服姿」という記述である。都立井草高校って制服無かったんじゃなかったっけ? と疑問に思ったので日記に書いてみた、という次第。すいませんね、細かいつっこみで。
この体験談自体が事実かどうかってのはまあ置いとくとして、大塚の記述を信用して話を進めれば、コメント欄に頂いた証言から以下の仮説が成り立つ。
肝要なのは、新井素子さんが普段標準服を着用していたかどうか、ということである。実際は標準服を着ている人はほとんどいないそうである。着用非着用の境界線というのは都民でない俺には感覚としてよく判らない。ただ伝え聞く新井素子さんの服装に関する無頓着さからすれば、私服よりも標準服を着ている方がイメージとしてしっくり来るとは思う。失礼な。
またこの部分で興味深いのは、練馬から徒歩通学していた新井素子さんが、学校帰りにわざわざ遠回りして、友達と一緒に高田馬場で自著の売れ行き確認をしている、というのが判ることである。なぜ高田馬場なのか、というのが正直よく判らないのだが、例えば最寄りの上石神井駅から西武新宿線で、新宿の書店を流してから高田馬場にたどり着いたのかも知れないし、芳林堂が誰かの馴染みの本屋か何かで上石神井から西武新宿線で直行したのかも知れない。もしかしたらこの後、池袋でも同じことを、とか妄想は拡がるのである。
『まるまる新井素子』の「学生作家顛末記〈前編〉」によると『あたしの中の……』が発売されたのは11月の末、受験勉強まっただ中の時のことであった。大塚英志の見た新井素子さんのこの行動が事実であるかどうかの確証が欲しい処。
『エラリー・クイーン Perfect Guide』。
病院で腰の診察をしてもらった後、本屋へ行った。特に何か目的があったのではない。どこかへ行こうと思い立った時にまず本屋が頭に思い浮かぶのは抜きがたい習性である。サッカー雑誌を立ち読みしていたのだが、しばらく立っているだけでも腰がきつい。あまり寝てない上に待ち時間が超長くて疲れもたまっていたし、店内をひと廻りして帰ろうとブラブラしていたら、ミステリ小説の棚に背表紙に「エラリー・クイーン」と大書された本があるのを見つける。ガイドブックのようである。となれば、ミステリ好きの新井素子さんが何か書いているかも知れないと思考が筋道を辿るのは常である。期待しながら手にとって見れば、案の定表紙に新井素子さんの名前が。クイーンに関するアンケートの回答が掲載されている。昨年12月に発売された本だが、全く知らなかった。こんな出会いがあるから本屋には行くものである。ラッキー。
クイーンは一冊も読んだことがないので、この本でちと勉強してみようかな。
- 『エラリー・クイーン Perfect Guide』,飯城勇三・編著,ぶんか社,1,300円+税,ISBN:4821108836