「マンガより速く読める文体」。

「マンガより速く読める文体」(関連記事:id:akapon:20041113#p1)について新井素子さんが発言している箇所をまた発見したので記しておく。『朝日ジャーナル』に連載された筑紫哲也の対談「若者たちの神々」、その新井素子さんの回のことである。同名の書籍に収録されている。(http://motoken.na.coocan.jp/works/book/taidan/kamigami.html

筑紫 どういう動機で読まれていると思いますか。

新井 ウーンと……一つには、文章が読みやすかったんでしょうね。それに尽きるんじゃないかという気もするけど。

筑紫 あなたの文体は、一〇代の人間がしゃべっている雰囲気がそのまま文章に現れてるけど、あのスタイルは、自分でかなり考えた上でのものですか。

新井 えーと、一応考えはしたんですよね。昔、中学校ぐらいのときに、とにかく読みやすい文体を作ろうと思って始めたから。

筑紫 それは、読みやすくない文体に反発を……。

新井 全然持っていないんです。あたしは読みやすくない文体のほうが、正直いって好きです。

筑紫 ふーん。

新井 文章は森鴎外が一番きれいでいいと思うんですが、中学校のころ――いまでもそうなんだけど――人に本を貸して、無理やり読ませるのが趣味だったんですよね。で、大変に面白い小説とそんなに面白くないマンガがあるとして、どっち読むって聞いた場合ね、小説のほうがとにかく面白いと説明した後でも、たいていの人がマンガを選ぶんですね。手軽に読めるからというんで。面白いんだけれども、字がいっぱい詰まってて読みにくいという理由で敬遠されるというのが悔しい。だから、マンガよりも速く読める文体を作ろうっていうわけのわからない動機のもとにできた文体なんですよね。

筑紫 面白い動機だね。面白いし、ある意味で正当な動機みたいな気がする。そういう対抗意識のようなものがなかったら、あの文体は出てきていないでしょう。

新井 たぶん……。でも元来は、小説を書く人がマンガに対抗したってしようがないんだけど。

新井 (略)一部の本屋さんでは、確かにマンガのような扱いを受けているんですよね。そのせいかどうかわからないんですけど、以前、谷山浩子さんがやっていらしたラジオ番組のマンガ家ベストテンに、なぜか知らないけどときどき入って、一位までとったことがあるんです。

筑紫 ということは、他のマンガと争って売れていたということ? それとも人気のベストテン?

新井 人気の方です。決して売れている順番じゃないです。だけどマンガ家ベストテンに「新井素子」と書いてよこすなんて、いったい何を考えているんだか。それに問題は、ベストテンに入ったということから考えて、そういうことを思った人が、ある程度以上の複数いたんですよね。困ったもんだ。

筑紫 面白いね。そう書いた人はマンガとして読んだのかしら。

新井 一時期、手紙で論争があったんですって。あれは文章で書いたマンガだ、いや、小説だっていう。

筑紫 ああ、なるほどね。そういう解釈はありうるわけだな。自分ではあの文章とマンガの関係を意識していますか。マンガ的な表現をしようとしてるのかしら。

新井 いえ、とにかくそれは動機だけで、それ以降はマンガについてはほとんど考えたことないです。

小説にとってマンガがライバルになるという認識がまずあったということと、自分の文体を作り上げる際にマンガを参考にすることはなかったということをポイントとして押さえておこう。
「手紙で論争があった」というのは、「谷山浩子オールナイトニッポン」内で、ということだろうか。聴いていた筈だが憶えてないな〜。

それで思い出した「読む漫画」。

このような文体や展開などから彼女の作品は新しい世代の言語感覚による「読む漫画」であるといった指摘もあった。

「読む漫画」という表現が何を言わんとしているのか判りにくい。漫画は元々読むものなんじゃないかな、と言いたくなるのである。推測だが、上記の対談中に出てきた言葉を使えば「文章で書いたマンガ」と言いたかったのではないかと思われる。

2005/01/29追記

「あれは文章で書いたマンガだ、いや、小説だ」という論争が「谷山浩子オールナイトニッポン」内の「マンガ家ベストテン」で行われていたなら、その場合の「文章で書いたマンガ」という表現は悪意ある揶揄でなくむしろ褒め言葉だった筈である。