文体についてのメモ。

上記の作成に絡んで「ザ・スニーカースペシャル」1994年春号を読み返した。新井素子特集「君だって、新井素子になれる!!」が掲載されている雑誌である。どう転んでもなるのは難しいんじゃないかな〜って話もあるがまあ編集部の企画意図は置いといて、特集自体は非常に面白い。インタビューの中に自分の文体を語っている部分があるのでメモしておく。

最初のころから今の若い人が書く文体だって、ずっと言われてきたけど、私自身は、言われるまで自分の文体がそんなに特殊だっていう気がなかったんですよ。言われて、なるほどたしかにちょっと変かなと思いました。句読点の打ち方が変わっているんですね。句点をブレスのつもりで打っちゃってるんです。普通のそれまでの文章でブレスで句点打つ作品ってあんまりないんですよ。
もともと目上の方に読んでいただこうとはまったく思ってなかったんですよ。それまでだいたい同い年の女の子に見せてたから、完全に読者対象は自分と同い年の女の子。今でもそう思っているんですけど。いろいろ言われたときは、そういうものなのかなと思いました。

この後、自分の日本語(書き言葉のことか?)はあんまり好きじゃないしきれいじゃない、きれいな日本語とは例えば森鴎外とか北村透谷だと思う、と語っております。森鴎外の名前は『まるまる新井素子』にも出てきており、「読者の手紙――ひっぱたいてかみついて」P.150で、

それとかね、大学受験のための受験勉強で国語の成績が悪いので、新井さんの本を読んで勉強してます、とか。必死になって返事書いて、森鴎外を読みなさい森鴎外をっつって。

などとも語っておられる。森鴎外の書き言葉についてはなんらかの思い入れがあるようだ。
北村透谷は他にどこかで出てきたか覚えていない。個人的にも読んだことがないのである。なんか七三分けの人だっけ? これからの課題とする。