「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」への些細な突っ込み。

東浩紀『郵便的不安たち#』所収のエッセイ。「新世紀エヴァンゲリオン」のことが書いてある。2002年6月発行の第1刷から。P.205。

 舞台は二〇一五年の富士山麓、第三東京市

箱根は富士山麓って言わないんじゃないか。あと「第三東京市」じゃなくて「第三新東京市」だ。この後にも「第三東京市」ともう一度出てくるので誤植ではないっぽい。こういう細かい部分の杜撰さは何だろう。
P.209。

(10)過去の小説、マンガ、アニメ、映画、音楽への徹底した引用・参照の束で作られている。コードウェイナー・スミスフィリップ・K・ディック市川崑ジェイムズ・キャメロンらから、村上龍神林長平成田美名子大槻ケンヂなどの八〇年代作家たちへと続くその参照のリストは、膨大な固有名を含んでいる。二〇代以上のファンの多くがこの仕掛けを喜んだのは、言うまでもない。

ディックとキャメロンと神林長平成田美名子がどのように参照されていたのかが全く見当がつかない。揶揄じゃなくて。気づいていなかった。どこだろう?
現役の作家を捕まえて「八〇年代作家」とレッテルを貼るのは「お前はもう死んでいる」って感じですか。ついでに大槻ケンヂはその言い方にならえば「九〇年代作家」なので年代で一括りにするのはどうかと思う。それとも筋肉少女帯の楽曲に詩を書いていた大槻ケンヂを八〇年代と置いてみた、ということか。それも無理がある。筋少のメジャーデビューが1988年*1、活動の中心は1990年代となる*2。ちなみにエヴァンゲリオンに参照された「何処へでも行ける切手」*3を収録したアルバム「断罪!断罪!また断罪!」は1991年の発売。エヴァとは同時代に当たると見るのが妥当で、八〇年代的ガジェットではないんではないか。

*1:映画「AKIRA」の公開と同じ年。

*2:日本武道館でコンサートを開催するようになったのは1990年代。

*3:包帯を巻いた綾波レイのモチーフはこの歌に登場する「包帯で真っ白な少女を描いた」切手だと貞本義行がどこかで語っていた。