個人的なメモも兼ねて。(敬称略)

eggmoon氏の日記(id:eggmoon:20041120)を読んで、自分の知識を整理してみようと思った。
漫画家が「ジュニア小説」の表紙絵を描いた例と言えば、1971年9月刊の平井和正『超革命的中学生集団』(朝日ソノラマ、サンヤングシリーズ)の表紙が永井豪。この小説が1974年にハヤカワ文庫SFに収録された際も永井豪が新たにイラストを描いており、この辺が最初というのが定説化しつつあるような。

1977年には漫画家ではないが、当時アニメーターだった安彦良和を起用した高千穂遙クラッシャージョウ』がソノラマ文庫より発刊される。高千穂は1980年にも同じく安彦良和とのコンビでハヤカワ文庫JAより『ダーティペアの大冒険』を上梓する。
集英社文庫コバルトシリーズに目を移せば、1981年に竹宮恵子が表紙を描いた新井素子の『星へ行く船』が発刊されるが*1、それより以前の1978年、寺沢武一を起用した豊田有恒の『青いテレパシー』というのがあった。『コブラ』の連載が「週刊少年ジャンプ」で始まったのは1977年。寺沢武一が起用された経緯は不明。久美沙織の『コバルト風雲録』を読むと漫画家起用に編集者が難色を示した様子が描かれているが、集英社お抱え漫画家で先例があった訳である。コバルトでこれより以前に漫画家が起用されていたかどうかは不明。たまたま『青いテレパシー』は読んだことがあるので知っていた。
コバルトのSF小説について。創刊初年の1976年に豊田有恒のSFアンソロジーが出版されている。新井素子がコバルトデビューする以前にも、前述の『青いテレパシー』や、風見潤編のSFアンソロジー横田順彌夢枕獏(作品はSFってよりファンタジーだったけど)やアニメのノベライズ作品が登場していた訳で、斎藤美奈子が『文壇アイドル論』で書いた文章、

ことにコバルトにSFを導入し、「あたし」という一人称を定着させた新井素子は特筆すべき存在でした。

の内「コバルトにSFを導入し」の部分は新井素子の存在を強調したいがための過大な表現なんじゃないかと思う。ちなみに日本にSFブームを巻き起こした『スターウォーズ』の日本公開が1978年(全米公開は1977年)。2004年現在より当時はよっぽど編集部と読者のSFに対する親和性は高かった筈で、そういう既存の流れに乗って新井素子がコバルトに登場したと言えるんでは。この辺はただの個人的な印象。

新井素子竹宮惠子に「キャラクターのイメージラフを持っていった」

というのは、あとがきには書いてないけど、どこに書いてありましたっけ? こういう時に己が記憶力の無さが呪わしい。栗本薫で同じエピソードがあったような気がする。思い違いかも知れない。
全然関係ないけど、コバルトの夢枕獏本には「あとがき」の他に「まえがき」もついていた。あとがき史を語るなら、SF方面では平井和正栗本薫夢枕獏新井素子は外せない作家だ。夢枕獏筒井康隆に影響されて書くようになったと何かのあとがきで書いていた*2。自身のあとがきだけを集めた『あとがき大全』という本も出版している。あとがき本は菊地秀行も出しているが、個人的に菊地のあとがきは面白いと思ったことがない。
SF以外であとがきが有名な人ってのは、本をあまり読まないのでよく知らない。誰かやはりあとがき集を出した女性作家がいたようだが。新井素子さんも出さないものか。

*1:竹宮恵子が挿絵を描いた『高一コース』の連載は1980年。

*2:筒井康隆のあとがきがどんなものかは読んだことがないので判らない