週刊現代編集部編『おとなの奈良』。

新井素子掲示板でちゃこしさんから教えて頂いた本。副題は”「京都」に泊まって「大和路」を歩く”。「おとな」*1向けの奈良観光案内本で、観光スポットとして奈良にある仏教寺院とそこに祀られている仏像を紹介した本である。仏像紹介は実際に現地を訪れた各界著名人が行っており、談話またはエッセイの形式で掲載されている。その中に新井素子さんのエッセイもあるのだった。目次によると『週刊現代』の連載企画をまとめたもののようである*2。1997年11月29日号〜2001年10月6日号に掲載されたものを収録したとのことだから新井素子さんのエッセイもその中にある筈だが、今の処特定は出来ていない。今後の課題である。
新井素子さんが紹介したのは興福寺にある国宝の「龍燈鬼立像(りゅうとうきりゅうぞう)」。1215年に運慶の子康弁が制作した寄木造の像で、現在は興福寺の国宝館に収められている。

最初に龍燈鬼さんを見た時、あらって思った。ユーモラスっていうか、おどけてるっていうか、見ているこちらの肩から力が抜けるような、ふわっとした仏像だなーって。

新井素子さんも書いている通り、写真を見ると表情のユーモラスさがとても可笑しい。顔のデフォルメの仕方はアニメのキャラクターのようにも見える。親近感が湧く像だ。「独特の力の抜け方から読めるいい人ぶり」とのことなので、興福寺を訪れる機会のある方は拝観してみてはいかがだろうか。

地図による道順案内や、寺院周辺で食べることができる名物料理なども写真豊かに掲載されていて、眺めているだけでも楽しいガイドブックである。

興福寺と言えば。

何はともあれ阿修羅像である。この本では小松左京がかの像について語っている。小松左京はこの像に少女の面影を見るそうだ。このように書いてある。

ちょっと不機嫌そうで、しかしきりりと眉をひそめ、けっして笑おうとしない顔が魅力的。声を掛けようものなら、「めっ!」と睨みつける美少女。

これに俺が共感を覚えるのは、阿修羅を知ったのが『百億の昼と千億の夜』漫画版だったからである。漫画の中の阿修羅王は絶対者に対して絶望的な戦いを挑む愁いを帯びた少女だった。中学の修学旅行で奈良へ行った時、観光コースに幸いにも興福寺が入っており、この像の前でしばし立ち止まって、果てしない時間を戦い続けなければならないこの少女へ思いを馳せたものである。
かくの如く阿修羅像を見てもその姿は頭の中で無条件に女性へと変換されていたため、後年買った阿修羅像の写真集で上唇の上にヒゲを発見した時のショックは大きかった。憧れの女性が実は男だったことを知ってしまったことによる絶望感である。冷静になってみれば男なのは当たり前なのだが、阿修羅=少女のイメージが確立していたため目の前の現実を認めることができなかったのだ。思い込みというのは恐ろしい。この惑乱を越えて自分の中のイメージの阿修羅を阿修羅像と切り離すまでには実にしばらくの時間を要したものである。思春期には色んなことがあるものだなあと懐かしく思い出される。
この阿修羅像も龍燈鬼立像と同じく興福寺の国宝館に収められている。阿修羅が例え男でも個人的にはまだとても好きな像で、造形の見事さには本当に惚れ惚れする。機会のある方は一度ご覧になるといいと思う。

*1:週刊現代』で「おとな」だからと言って艶っぽい話は皆無である。別に註釈を付ける程のことじゃないんだけど。

*2:ネットで調べると「古仏巡礼」という長期連載企画らしい。