「あいつと私」
3月27日の日記(id:akapon:20050327#p3)に書いたササキバラ・ゴウ著『〈美少女〉の現代史――「萌え」とキャラクター』の話。
七〇年代に平井が少女の一人称で書いたコメディ調の小説などは、その後の新井素子の文体ときわめて似通っています。それはおそらく、単に新井が文体を真似たということではなく、まんが・アニメ的なコメディセンスを小説に導入するための原型を、平井が先駆的に作っていたのだと考えるべきでしょう。
この平井和正の小説とは何だろう? と疑問に思っていた処、『ウルフランド』所収の「あいつと私」ではないかとの情報を得た。『ウルフランド』とは『奇想天外』誌に1976年4月号から9月号まで六回にわたって連載された平井和正による自作「ウルフガイ・シリーズ」のセルフ・パロディ企画であり、「あいつと私」はその中の一編である。祥伝社ノン・ノベルからウルフガイ・シリーズ番外編として『狼の世界(ウルフランド)』として出版され、後に角川文庫に『ウルフランド』と改題して収録された。この文庫版を俺も読んでいたのだが、遥か忘却の彼方だった。
読んでみると、確かに少女が語り手で一人称は「あたし」である。と言って新井素子さんの文体と似ているかというと判断は分かれる処だろう。どんな特徴を指して「似通ってい」ると考えるかによる、とは言うものの個人的にはあまり似ているは思えない。最初と最後の読者に語りかける箇所などは共通点と言えるかも知れないが、文章のリズムとか句読点の打ち方とか改行の仕方とか女子高生としての言葉遣いとか、他に取り上げるべき特徴を見出すことはできない。
新井素子さんは平井和正の愛読者で、その作品から影響を受けたことをインタビューでも語っておられる(『月刊カドカワ1989年11月号』まるかじり新井素子スペシャル)。精神的処女作と語った『・・・・・絶句』が平井和正の『狼男だよ』の影響の下に書かれたことはあとがきに書いてある通りである*1。ただし文体面での影響というのはさほど感じたことはない。「似通ってい」るということだけなら、新井素子さんが自分の文体を作る際に参考にしたという小林信彦の『オヨヨ島の冒険』の方がよほど似ている印象を受ける。発表されたのはこちらの方が先で、新井素子さんが影響を明言していることからも、比定するならこちらの方を選択すべきであろう。はっきり言えば「あいつと私」と新井素子さんの文体の共通点とは「あたし」という一人称しかないように思える。
ふと思ったが、「あたし」という一人称は日本の小説史上で果たしてどこまで遡ることができるのだろうか。これはこれで興味深いテーマだ。自分で調べる気にはならんけど。
話は変わって。
「あいつと私」はハチャハチャなギャグ小説であり、同じく一人称で書かれた『超革命的中学生集団』を思い起こさせる*2。ササキバラ・ゴウの文章に書いてある「まんが・アニメ的なコメディセンス」ってのは具体的にどういうことかよく判らないが、この小説の悪乗り気味のギャグが漫画も読む読者をも意識して書かれたことは想像に難くない。というのは露骨に当時の人気漫画であった『がきデカ』のネタが登場してくるからである。登場人物からして主人公の呼び名が「ジュン」、そのボーイフレンドが「西城くん」、担任の女教師が「阿部先生」、全て『がきデカ』の登場人物と同じ名前である*3。これが偶然ではない証拠には文中に『がきデカ』のギャグまでが出てくる。
「変質と解体が好きっ。あふりか象の次に好きっ」
「あふりか象が好きっ」というギャグを下敷きにしているのは明らかだ。さらにその2行後にはこんな台詞まで登場する。
「あっはっはっ。もう”変質と解体”SFも疲れたなあ。かなり無理してる感じ。山上さん、やはりあなたは天才ですっ。頑張って下さいっ」
山上さん
とは「がきデカ」の作者である山上たつひこのことだと思われる。
今まで読んだ大塚英志の本などでは、一口に「漫画からの影響」と言っても何ら具体性を持たない感覚的な言葉としか思えなかったし、『〈美少女〉の現代史』でも、
新井素子の作品は女の子の一人称で書かれ、少女マンガやアニメなどの影響を強く感じさせる内容のSFでした。
とは書いてあるもののその影響の具体例*4は何ら示されていないので新井素子さんとの関連はひとまず脇に置いておいておく。しかし、
まんが・アニメ的なコメディセンスを小説に導入するための原型を、平井が先駆的に作っていたのだと考えるべきでしょう。
と書いてあるように、漫画を意識して書かれた小説がこの年代に登場していたことは覚えておいていいかも知れない。