斎藤美奈子編・著『L文学完全読本』。

図書館で借りてきた本。新井素子さんの名前が随所に登場してくるのでチェックしてみた。「L文学」というのも俺には馴染みのない言葉である。ググってもあまり引っかからない処を見ると、あまり普及していない概念なのかも知れない。本の表紙にはこのように書いてある。

L文学とは女性を元気にする文学。

L文学のLは、レディ、ラブ、リブ。勝手に名付けさせていただきました。

いま日本を席巻するLの流れを徹底紹介。

女性のあなたは読書のバイブルに、男性のあなたも楽しめます。

ブックガイド全250冊+作家コラム26人

以下、登場箇所を抽出してみる。

「女のコたちの読書体験 これを読んでワタシは大きくなりました」

  • 少女小説にハマった子ども時代(P.11)
  • コバルトで育った中高生時代(P.12)
  • 大人になって発見するL文学(P.13)

女性の読書年代を上記のように区分した中の「コバルトで育った中高生時代」より。

赤川次郎、読みました。新井素子、読みました。氷室冴子田中雅美久美沙織も正本ノンも読みました。男友達や家族は「そんなもの読んでるの?」って目で見ていたが、コバルト文庫、大好きだった。中高生ともなれば、夏目漱石だって森鴎外だって本当は読めたはずだが、勉強モードの本は嫌い。等身大の女の子が活躍する小説がいいのだ。あ、ほんとは太宰治吉本ばななフランソワーズ・サガンも読んでたんだよ、少しはね。

1.「おんなこども」の読書歴

「コバルトは変わる。女のコは変わる。」(文:米光一成

コバルト文庫の歴史を概観するエッセイ(P.25〜35)。内容が内容だけに新井素子さんの名前が頻出する。
まずP.26より。( )内の数字は脚注。

こうして、氷室冴子田中雅美久美沙織、正本ノン――後にコバルト四天王(9)と呼ばれる二十代の女性作家が登場し、一世を風靡(10)する。おっと、八〇年といえば、コバルト文庫から新井素子いつか猫になる日までが出たことも忘れちゃいけない。決意というよりもっと素な感じの「女の子の言文一致」で書かれた新井素子の「あたし」一人称(11)文体は、後の「少女小説ブーム/いちご文庫ブーム」にすごい影響を与える。このことは、また後で書こう。

P.28-29より。

八七年に、「講談社X文庫ティーンズハート」が創刊されると、低年齢化は加速。

あたし、広瀬千秋という。十九歳の女の子。

というような書き出し(18)に象徴される新井素子が開発した「あたし」を一人称とするスタイル。これを、身近な友だちが読者に向かって直接語りかけるようにアレンジ。改行を多用し、物語はシンプルにわかりやすくなっていく。

どれほど同じタイプのものが多いか(19)、主人公の名前が判明する最初のシーンをいくつか引用してみよう。

下記は脚注より。P.29の(11)と(18)、P.30の(19)。

(11)八〇年の『いつか猫になる日まで』は、本文中では「あたし」なのだが、カバー見返しの紹介文は、「わたしの名は桃子」と「わたし」に替えられている。デビュー作『あたしの中の……』(奇想天外社)は、十代の女の子の話し言葉をそのまま文章にしたような”いまだかつてお目にかかったことのない文体”と賛否両論だった。

(18)新井素子『ブラックキャット1』(コバルト文庫/11ページ)。

(19)このパターンについて、久美沙織はこう書いている。〈あれは、新井さん以外のひとは、けしてやってはいけません。人の作品の、楽そうなところだけイタダくというのはね、これは、ものをかこうという人間のカザカミにもカザシモにも置けません。新井さんはひとりで十分です〉(『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』76ページ)。

*この久美沙織の見解については当日記中の考察も参照されたい。→id:akapon:20040718#p4、id:akapon:20041206#p3

同エッセイ内「コバルト文庫年表概要」(P.33)

「80年代前半 おねえさん期」の1980年に『いつか猫になる日まで』あり。この頃”「あたし」爆弾投下”と特記されている。

同エッセイ内「お薦め本リスト」(P.34-35)

リストに新井素子いつか猫になる日まであり。

インタビュー:「わたしたち図書館ハードユーザーです」(文:脇坂敦史)

読書好きの現役女子中高生へのインタビュー。P.54の「佐藤晶子さん(高校1年)」の項に新井素子さんの名前があるのが意外である。若い人も読んでいるという実例を目にするのは何やら嬉しい。

最近読んだ新井素子わにわに物語』は新井さんのぬいぐるみが書いたというエッセイ。視点が変わっていて面白かったです。新井さんの文章は明るくて、読んでいると楽しくなってきて好きです。小説のなかにも「(素子注)」とか、ツッコミがあったり。

2.L文学を用意したもの・支えたもの

「邦楽シーンで見る”L文学ってこんな感じ”」(構成・文:関田知子)

J-popに関するエッセイ。P.67「表で見る日本の音楽シーンの流れ」中、「2002年で三十路の女が当時読んでた本」のリストに新井素子さんの名前あり。

エッセイ:「少女小説かYA文学か。翻訳L文学(?)の今。」(構成・文:金原瑞人

翻訳小説に関するエッセイ。冒頭部(P.70-71)に新井素子さんの名前が出てくる。

翻訳物のなかからL文学らしきものを拾い集めて、紹介解説してほしいとの依頼があって、はいはいと軽く引き受けてしまったのだが、この本の元となった『鳩よ!』二〇〇二年五月号を読んで、しまった!と思った。

「ばななを誤読した男たちが、こんどは唯川恵を誤読する。『女の子用』という密室の中にあったL文学が、広い世間に船出して、オジサン読者を獲得するなら、それはそれで痛快ではないか」(斎藤美奈子

金原はまさにこの「オジサン」なのである。山田詠美吉本ばなな野中柊川上弘美森絵都三浦しをんなどを好んで「誤読」してきた(新井素子『奇想天外』の時代から誤読している)し、フランチェスカ・リア・ブロックやメグ・キャボット(このふたりの作品はまさに現代アメリカのL文学)なんかの少女小説を探し出しては「誤訳」してきた。

「女のコは物語がお好き?」(SF&fantasy)(構成・文:福本直美

SFとファンタジーについてのエッセイ。本文中ではL文学式SFファンタジーの分類として、「戦乙女」「恋愛異聞」「老婆SF」「仮想少年小説」の四つを挙げている。P.79に新井素子さんの作品が登場する。

性文学には、おばあちゃんの活躍も見逃せません。分類その三は、老婆SFです。代表作は『チグリスとユーフラテス』でしょう。登場人物はみんな女性で、平均年齢は六十歳。ちなみに、作者の新井素子は日本一こわい作家だと思います。「あたし、人が食べられる話、割と平然と書けるんです」という一行が某作品のあとがきにありました。仏教的無常観を持つ日本人と、女が重なり合うとき、この世でもっとも恐ろしく美しいヤマトナデシコという生物が生まれてくることが、この女神にして魔女である作家を見れば納得できます。

P.80-81の「女の子のSFファンタジー20年史」には「恋愛異聞」に『グリーン・レクイエム』(P.80)、「老婆(刀自)SF」に『チグリスとユーフラテス』(P.81)の名前がある。
*「某作品のあとがき」とは『ひとめあなたに…』角川文庫版のあとがきのことである。文庫のP.340を参照されたい。
*「仏教的無常観」という言葉が使われるのに違和感あり。新井素子さんの作品世界の裏側にあるのはもっと虚無的なものでないだろうか、とあまり深く考えずに書いてみる。ちなみに「仏教的無常」は発生地インドでのそれが”脱却すべき対象”であるのに対し、日本での一般認識は”脱却不可能で身を任せるしかない支配的な価値観”へと変化している。そのような「無常」を観じその儚さ空しさを表現することが日本の文学作品においてはよく行われる。(小説における実例としては、SFな人は『百億の昼と千億の夜』を思い出してみるが吉。)ここで出て来た「仏教的無常観」とは後者の日本的無常観のことを指すと思われる。

3.L文学とは何か

「L文学解体新書 どこから来て、どこへ行くのか」(文:斎藤美奈子

P.91〜113に掲載されたエッセイ。P.94より始まる「L文学の遠くて近い祖先は少女小説である」の項、P.96に新井素子さんの名前が登場する。

八〇年代になると、少女小説の世界はまた新たな局面を迎える。少女マンガの活字版(あるいは少女マンガの原作)として、一九七六年に、ティーンエイジャーの女性読者をターゲットにした書き下ろし文庫、集英社コバルト文庫が創刊されたのであった(コバルトの歴史については、25ページ、米光一成の論考を参照されたい)、驚くべきは、コバルトが私たちの想像を上回る巨大なマーケットだったことである。もっとも勢いがあった八〇年代の後半には、人気作家の場合、初版二〇万部もざら、氷室冴子なんて素敵にジャパネスク』のように、累計一〇〇万部を軽く超す作品も珍しくなかったらしい。戦後第二世代、すなわち一九七〇〜八〇年代に生まれた現在の一〇〜二〇代は、赤川次郎新井素子を、あるいはコバルト四天王と呼ばれる作家たちの作品を、やはり熱心に読んだにちがいないのだ。

4.Lのブックガイド

テーマ別の作品紹介。新井素子作品を取り上げたテーマは下記の通り。

テーマ:「コドモだって楽じゃない」(P.126-127)

くますけと一緒に』の紹介文は寺田未散が執筆。

テーマ:「怖いのが気持ちいい」(P.186-187)

ひとめあなたに…』の紹介文はアライユキコが執筆。