エキサイトブックス作家ガイドに新井素子さん追加。
本日追加された作家紹介のページ。なかなかよく調べてあり好感を持てる著者紹介である。
しかし処々で事実誤認ではないかと思われる箇所があるので突っ込んでおく。
SFとミステリのマニアだった父の影響でSF作家に育った、と語る新井だが、父の没後、父と祖父の蔵書を引き取るため1階をすべて書庫にした家を建てた経緯は、04年刊行された久々のエッセイ集『お元気ですか』に詳しい。
「1階をすべて書庫にした家」を建てたのはまだ御尊父が存命中のことなので、残された蔵書を引き取るために家を建てた訳ではない。家を建てたのは新井素子ファンクラブ「どんきほ〜て」さんの年表を見ると1995年、『ダ・ヴィンチ』2000年3月号の特集「作家に学ぶ本の収納術」のインタビューからは1997年と推察される。どちらが正しいのかは判らないが20世紀中であることは確かである。*1家を建てたのは1996年。御尊父がお亡くなりになったのは21世紀になってからである。
前述のインタビューによると、家を建てた目的は書庫を作るためで、本を作家名50音別に収納するのが夢だったとのこと。また、書庫は1階の半分近くを占めているだけで、本当は全部書庫にしたかったのだが両親に止められた、と書いてあった。「1階をすべて書庫にした家」は過大な表現である。
実に、1976年当時のことであります(ちなみに、3者3様の慧眼には、やはり唸らざるを得ません)。
第1回奇想天外SF新人賞の発表は1977年である。1976年と書いてあるのは間違い。「文学賞受賞歴」の処も1976年となっているが同様。
ただし、この賞が発表された『奇想天外』1978年2月号は1977年12月末の発売で、1977年と言っても非常に微妙である。
そのように、オンナノコの少ない場所に出現した、リアル女子高生作家、しかも運動音痴の眼鏡っコ。当時は「美少女作家」と言われていたのですよ!
デビューからしばらくの間の新井素子さんは眼鏡をかけていなかった。奇想天外社版『あたしの中の……』の著者近影もノー眼鏡。だから、「眼鏡っコ」という認識は当時のファンの間にはなかった筈である。いつ頃から眼鏡を常用するようになったのかは正確に検証していないが(エッセイには書いてあったような気がする)、大学に入ってしばらくしてからではなかっただろうか。
本格的なブレイクは『星へ行く船』シリーズ。竹宮恵子の挿絵で「高一コース」に連載され、連載中からかなりの人気を博した。これ、実は連載を落とすのが怖いということで、既に書き上がった原稿を分載していたのだとか。
最初に全部書きあげた理由は、厳密に言うと「連載を落とすのが怖い」とは微妙にニュアンスが違うように思う。『星へ行く船』のあとがきに事情が書いてあるが、いつもゆきあたりばったりにお話を作るので、毎月決まった枚数を決まった日までに書くという書き方が怖くてできないから、最初に全部書いちゃえ、となったらしい。
熱烈なスティーブン・キングのファンでもある新井はホラーへの志向も強く、先述の『グリーン・レクイエム』などは、ホラー要素の濃い作品である。
『グリーン・レクイエム』はホラー要素の濃い作品だろうか? 受け取り方は人それぞれだとは思うが、俺はそうは思わない。ホラー要素が強いと言えば『あなたにここにいて欲しい』とか『ひとめあなたに…』を挙げるのが妥当ではなかろうか。
あと、新井素子さんのホラー小説に触れたこの段落では、是非『おしまいの日』を紹介してほしかった。
おすすめの読み順... 『星へ行く船(シリーズ5巻)』 ⇒『扉を開けて(シリーズ3巻)』 ⇒『くますけと一緒に』 ⇒『…絶句。』
『扉を開けて』の(シリーズ3巻)
って何だろう?(『ラビリンス――迷宮――』と『ディアナ・ディア・ディアス』を加えた向こうの世界の話のことだろうか?)
この作家が似てる?... 久美沙織
似てるのか? 強いて言えばどういう点が「似てる?」と言えるのだろうか。
こういう報告ってどこにすればいいのかね?