山田正紀『神狩り2 リッパー』。

『神狩り』の30年ぶりに書かれた続編である。前作を初めて読んだのは俺が中学生の時、ちょうどSFを自覚的に読み始めた時期だった。自分を取り巻く世界に関する知見に飢えていた青臭い小僧にとってSFというジャンルはまさに驚異の世界で、新鮮な物の見方や考え方を提示してくれる物語に心酔したものだ。中でも『神狩り』から受けたショックは半端なものではなかった。その物語の続編が今になって出版されたっていうんだから、これはもう読まずにいられる訳がない。ただしハードカバーで1900円もする本を買う金もない。近隣の図書館にはどこにも置いていなかったので、近所の図書館にリクエストしたら購入してくれた。ありがたい話である。
で、読んでみたのだが。面白かった。上下二段組みで430ページもある厚い本なのに、読み出すと止まらなくなり途中からは残りのページ数をしきりと気にするようになる。それはつまらない本を読んだ時に感じる「まだこんなに残りがあるのか」といううんざりした気分とは全く逆で、あとこれしかないのにこの物語にどう決着を付けるんだという期待感に満ちた焦りから来るのである。果たして後半部分はずいぶん話の枝葉が端折られていたように感じた。文章としては語るべき処を語らずページ数を減らすことによって物語の密度はそのままにスピード感を煽り、ページをめくる手を止めさせないという効果はあったかとも思うのだが、しかし読後におかずが一品足りないような不満足感が残るのである。前半部分で感じた「これから世界はどうなってしまうのか」という戦慄は置き去りにされたまま一気にラストシーンに突入してしまい、ストンと物語は終焉を迎えるのであった。(「神を狩る」ってこういうことなんだろうか。期待したものとは何かが違う。)
あとがきにはこのように書いてある。

とにかくSFはもともとが「カッコいい」ジャンルなのだ、「カッコいい」SFに回帰したいという思いで書きつづけました。(略)その結果、自分では「カッコいい」SFに回帰することができた、と思います。

多分山田正紀が「カッコいい」と思ったことを俺は陳腐だと感じている。俺の感じた不満というのはその意識の差から生じているんではないかという気がする。ただ再び書くが話は面白いのである。再び頭から読み返してなぜ俺はこんなにも不満を感じているのかをもう一度検討してみたい。それは多分苦にならない作業だろうと思うから。