片山憲太郎『電波的な彼女〜幸福ゲーム〜』。

読了。購入本。『電波的な彼女』の第三巻である。主人公の成長とか主人公とそれを取り巻く女性たちとの関係の進展などと言った大きな展開が物語にある訳でなく、相変わらず繰り返される不幸展覧会にそろそろ飽きてきた。
気になったこと。P.315-316の雪姫の台詞。

「人の本質を最も顕著に表すのは、その死に様だよ。悲しい死か、哀れむべき死か、報いとしての死か、傷一つ無い体で死んでも醜悪な死があり、指一本しか残らなくとも胸を打つ死はある。それからすると、あれは、かなりのものだな」

この判った風な物言いが不快だった。昼間に図書館の原爆写真展で原子爆弾や水爆実験のために亡くなった人たちの写真や絵を見たせいだと思われる。写真展で見た物、そこにあったのはその人の本質なんてものでなく、ただ圧倒的な理不尽さであった。少なくとも俺はそう感じた。あの人たちに対しても雪姫は同じことを言うのだろうか。その狭量な物の見方が自分の中で許せないものとして認識されてしまったのである。
作中でこの台詞を言っているのはただの高校生であり、恰好付けて判った風なことを言ってみたい年頃なんだというキャラ設定だと思えばいちいちカチンと来ることもないのかも知れない。しかし、ならばそういう未熟な登場人物たちによる未熟な行動と未熟な会話が説得力を持たないまま頻出する小説なんて、上記のように不快になるだけだ。登場人物たちと同年代の人たちならいざ知らず、違和感を覚えてしまう俺などはもう読まない方がいいんだろう。