新井素子『ハッピー・バースディ』文庫版。

読了。再読である。
最後にゾクッと背筋が寒くなるのは相変わらず。過剰とも思える程饒舌な語り口は真綿で首を絞めるようにじわじわと俺の脳を浸食する。祐司が何気なく犯したいたずらによりあきらが精神的に追いつめられていく様子が怖い。その祐司のあきらに対する行為を「罪」とするなら、その報いで祐司に何らかの「罰」(それもなるべく酷いやつ)が下されるのを期待しながら読み進むと、案に相違して「祐司」のパートはハッピーエンドになってしまう。一旦は肩すかしを食らった気になるが、しかしそのエンディングは最後の「あきら」のパートと対照をなすことが判る。そして祐司とあきらが発した「お誕生日、おめでとう」という言葉の温度差に戦慄するのだ。祐司がいくら人間的に成長したところで祐司が犯した「罪」は消えていなかった。その「罪」が生起したきっかけが日常的なほんの些細なことであったことに思い至る時、「いい気になるなよ」という脅し文句は読者である俺に対しても牙を剥く。”お前がのほほんと生きている影にはお前のおかげで迷惑を被り苦しんだ人たちがいることを思い知れ”という悪意の刃を喉元に突きつけられたような気がして、だからラストシーンで俺は逃れようのない絶望に捕らわれる。
……いささか過敏な反応のような気もする。『ハッピー・バースディ』を読んで俺が感じた怖さは以上のようなものである。
今回読み返して改めて確認できたこともあった。例えば、ハードカバー版のあとがきにあるこの部分。

この原稿ができあがった時、担当編集者の方が、ちょっと心配そうに言ったものでした。
「……これ、とても、新井さんのことのように見えてしまいますが……いいんでしょうか?」

初めて読んだ時、小説賞受賞後になかなか新作が読めなかったという点において、新人賞を受賞して以来小説が書けなくなった主人公あきらと、『チグリスとユーフラテス』で日本SF大賞を受賞して以来長編小説を出版していなかった作者新井素子さんの姿が重なって見えた。それが、文庫版を読むまでの期間に作成した「新井素子全小説リスト」によれば単なる誤解に過ぎなかったことが判る。『チグリスとユーフラテス』と『ハッピー・バースディ』の間に新井素子さんは「馬場さゆり」*1「あした」「斉木杳の憂鬱」と、苦手である筈の短編小説を三本発表している。確かに長編小説は出版されていないものの、あきらのように小説が全く書けなかった訳ではないようである。

*1:「馬場さゆり」が日本SF大賞受賞後第1作。