今回調査したのは1980年の『SFアドベンチャー』(徳間書店発行)。前年に創刊された新雑誌で、最初は季刊だったが第3号より隔月刊となり、この年の6月号から月刊となった。よって目を通したのは2・4・6〜12月号の9冊である。
10月号の二つの記事に新井素子さんの名前が登場する。
- 同人誌評:「作家変身妙法 SFの発想と作法」第5回(荒巻義雄)
- 書評:「BOOK LAND(新刊案内)」宇宙パイ投げ戦争−新井素子著『いつか猫になる日まで』−(風見潤)
1.では第7回星群祭に参加した作家として名前が挙がっている。
2.は、この年8月に刊行された新井素子さんの処女長篇『いつか猫になる日まで』の書評。「宇宙パイ投げ戦争」とは、風見潤が新井素子さんより聞いた
「あたし、宇宙を舞台にパイ投げをやってみたかったんです」
という言葉からついたタイトル。『S-Fマガジン』の同年同月号にも森下一仁の『いつか猫になる日まで』評が掲載されている*1のは、鮮烈なデビューを果たした新人作家の初長篇に対する注目度の高さを示すものか。風見と森下は共に1951年生まれであるが、個人的な知り合いという立場を活かして新井素子さんの創作姿勢を同世代の作家のように語る風見に対し、森下は一世代上の者の観点から若手作家の取り組み方を理解しようと務めてみせる。それぞれ印象の違う書評が二つ並んだのは興味深い。情報は素研に掲載済み(→素研:『SFアドベンチャー 1980年10月号』)。
関係ない話。
風見潤は本文中で、刊行前に編集者から”超能力をもった六人の少年少女が神にはむかう話”という大まかなストーリーを聞き、同時期に執筆していた自作『邪神惑星一九九七年』(クトゥルー・オペラ・シリーズ/朝日ソノラマ文庫)の内容と似ていたので電話で本人に確認した、という逸話を語っている。
この本は読んだことがある。主役は超能力を持った七組の双子で、永い眠りから目覚めたクトゥルーの神々から地球を守るために戦う、という物語だった。俺は当時超能力ものにかぶれていて、その興味から読んだのである。作品は全4巻なのだがどうもあまり面白いとは思えず、確か2巻で読むのを止めてしまったような記憶がある。
言われてみれば共通点があると言えないこともないが、『いつか猫になる日まで』の登場人物である大学生たちを「少年少女」と呼んでしまうのは違和感がある。「少年少女」という形容が使われるのは高校生迄じゃないか?
*1:素研:『S-Fマガジン 1980年10月号』