『思想の科学』1991年10月号。

少女小説の力」という特集が組まれている。代表的少女小説作家という位置付けで新井素子さんの名前が随所に出て来るので、それを抜き出してみる。

上原隆【ライター・インタヴュー】「読者が見えなくなった」(P.4-16)

P.6、新井素子さんの名前が登場する事典が紹介されている。

今年(一九九一年)の『現代用語の基礎知識』には、「少女小説」や「ジュニア小説」という項目はなくなっている。八八年には「現代文芸用語」の欄にでていたのに、そこにはない。索引をめくると、「コバルト文庫/X文庫ティーンズハート」という項目があり、「子ども文化用語」欄に入っていた。
「ジュニア小説のシニセ集英社が発行するコバルト文庫は、氷室冴子新井素子久美沙織藤本ひとみなどの人気作家を擁し、後発の講談社発行のX文庫ティーンズハートは、花井愛子、倉橋耀子、折原みと、林馬直子などの新鋭をぞくぞくと送り出して、互いにしのぎをけずっている。とくに花井愛子と倉橋耀子はそれぞれ作風は異なりながら、ティーンズの日常会話を駆使したハギレのいいテンポで十代の愛と生きがいのドラマをくりひろげ、中学生たちの心をしっかりとらえ、静かなベストセラー現象を起こしつつある」

この『現代用語の基礎知識』は確認していない。要チェックである。(他には87年版=P.655「ヤングアダルトSF」=にも名前が出て来るらしい)
次に新井・花井両氏へのインタビューを全文掲載する。久美沙織のインタビューの途中に挿入されていたものである。「新井さんと花井さん」の章(P.7-9)より。

新井素子さんと花井愛子さんに話を聞いた。
新井さんは、少女の口語体を最初に小説に使った人と言われている。花井さんは、X文庫ティーンズハートを支え、その中で一番売れている。
話を聞いている時には、こんな形で、登場していただくつもりではなかった。テープを聞きなおしてみると、二人の話の内容が、クッキリ対照的で、少女小説のこの数年の変化に対応しているように感じられたので、ここに二人の意見を並べてみることにした(新井さん、花井さん、気分を悪くしたらゴメンナサイ)。ちなみに、新井さんの小説デビューは一九七七年、花井さんは一九八七年である。

〈文体について〉
新井 小説の内容とか構成とか、それは、まあ、女の人がね、自分の内面をみがいて、いい女になりたいと思う時にみがけるもんだとして、文体というのは顔だから、だんだん老成していくにつれて、味のある顔になっていくしかないけど、とりあえずは直しようがないと思ってました。

花井 コピー・ライター長いですから(彼女はコピー・ライターでもある)、広告の現場でね、たとえば、チョコレート売るにしても、子ども向けに書くのと、少女に売るのと、それから大人向けのちょっとお酒の入ったものを売るのと、おのずと文体が変わってきますよね。その訓練が長かったんで、じゃあ、十代向けの文章ってこういうことなんじゃないかな、てのは考えました。

〈ナゼ売れてるのか?〉
新井 ナゾです。

花井 店頭の表紙のインパクトです。
――ほんとうにそう思ってんですか?(意外な答えだったので、聞き返してしまった)
花井 ええ、パッケージですね。かなりパッケージが重要です。読者層が小学校四、五年まで下がっちゃいましたから、本を買いに来るレベルにまだ育ってないんです。
本屋さんに言って、物語の良し悪しでは運ばないですから、なんで選ぶかっていうと、まずパッケージを見て、「あっ、かわいい」って手にとる。そこから始まりますから、で、「意外とおもしろいかもしんなーい」ということがわかって、他の作品にも伸びていきます。

〈現在の少女と自分の描く少女とのズレはないか?〉
新井 ぜったい違うでしょう。だから、私はいま、十六、七の女の子を主人公にする気はぜたちないです。いま書いている主人公の年齢は三〇です。
最近つくづく思うんですけど、三〇越すと体力の限界があって、こういう行動をとらすのは物理的に無理だよなーとか、これはこの日一日有給とって寝てないと翌日シヌとか、若い頃は、二日ぐらい徹夜して主人公にかけずり回らせても、たいして苦労はなかったんですが――いまだって書いてる分には苦労じゃないでしょうが(笑)――やってる主人公の身がもたない。

花井 リアルタイムで書いてくものについては、ズレない自信はけっこうあります。理由は周辺にかならず、小学生、中学生の話し相手がいてくれるっていう状況があるんです。たとえば、一九九一年八月のいまの子どもっぽく喋ってみろって言われれば、喋れます。

〈ある日、自分の読者がいなくなるという不安はないか?〉
新井 へんな言い方ですが、水商売なんで、不安がないと言ったら嘘ですよね。すごく不安ではありますけど、不安に感じたってしょうがないだろうし。
――不安をなくすために何かやってますか?
新井 できないです、何も。どうしていいかわかんないもんね。ある程度、この仕事してれば、こういうのがうけるそうとか、こういうシーンを出すとうけるとか、多少読めるなってとこありますけど……、どうしたって媚びる気になんないし、たぶん、媚びはじめちゃったら、逆に、その段階でいっせいにソッポを向かれるんじゃないかと思う。

花井 つねにそれは、ターゲット・ニーズの市場動向とか見てれば見えますよ。

新井さんは、自分の小説は、読者の意向にあわせて書いてるのではないことに自信をもっている。それに対して、花井さんは読者の意向をつかんで書けることに自信をもっている。新井さんのタイプから花井さんのタイプへ、これが、この数年の間に、少女小説の書き手に求められるものとしてあらわれた変化ではないだろうか。つまり、最初、書き手たちが自分の書きたい世界を書くことによって読者を形成し、ブームとなったものが、次に、ブームの方から書き手たちに読者像を提供しはじめたのだ。

もちろんこの結論というのは単にサンプル二つのみを比べた場合のものであり、飛躍がある感は否めない。ジュニア小説の作者を思い出してみるとむしろ例外の方が多いのではないだろうか。

柳父章少女小説」の衝撃」(P.17-28)

「五、少女小説の文体と思想の衝撃」(P.24-28)より。

新井素子の『あたしの中の……』(奇想天外社、一九七八年)の解説にS・F作家、星新一はこう書いている。

新井素子は昭和五十二年に「奇想天外」誌が募集した、SF新人賞によって世に出た。SF界において新人コンテストは五年ぶりということもあり、千篇を越す作品が集まった。大盛況である。
数次にわたる予選を通過し、最終的に十四編が残った。……
……そのあげく「あたしの中の……」が第一位と判断し、選考会に出た。
……
なにしろ、文章が新鮮であった。その世代ならだれでも書くという説もあるが、小説に活用したのははじめてだろうと思う。今後だれかが試みれば、新井素子の亜流となってしまうのだ。また、この模倣は、容易そうだが、けっこう難しいのではなかろうか。
つぎにストーリーの巧妙さである。
……

少女口語文の小説の登場を確認し、素直に驚いている作家の言葉である。さすがに、まず第一に文体に注目している。もっともこの作品は他の審査員が同意せず、佳作になったのだそうであるが。
その文章を、作品の始めのあたり、一つのクライマックスのシーンから引用しておこう。

――嫌(や)だ。
頭の中に最大のボリュームで声がひびく。
これ、ひょっとして精神感応?
――俺はまだ死にたくない。
頭痛はいよいよ激しくなった。そして、それにつれて声はさらに大きくなる。これ何よ。
あたしはうすれてゆく意識の下で自問した。
なんでこうなっちゃったんだろう。何か、どこかで手違いがあったに違いない。今まで体のどの部分がどう破壊されても気絶なんて醜態、さらしたことないのに。それとも奴らは超能力者を使ったんだろうか。まさか……。奴らの精神力では、このあたしに精神攻撃をかけるなんて、できる筈が……。

作品は「あたし」という女の子が主人公で、「あたし」が語っている一人称文体であるが、日常の話し言葉の文末がむき出しで出てくる。ここでは「これ何。」の終助詞、「さらしたことないのに。」の接続助詞であるが、さらに、「ひょっとして精神感応?」のような名詞止め、「まさか……。」や「できる筈が……。」のような「……。」があって、これらは、現代口語文の規範では、まだ接続する言葉が続くべきなのに打ち切っているわけで、私の言うβ、接続助詞型に準ずる。
作者新井素子はこのとき十六歳の少女で、少女の日常語を、というよりも、少女口語をそのまま小説文に持込んで使ったのである。
新口語文、少女口語文は、ここで大きな転機を迎えた。ラジオの投書や手紙などでは、既に書き言葉ではあったが、同時に語りかける相手が想定されていた。小説では語りかける相手の顔は全く見えないのである。又、投書、手紙、回覧文など、それから雑誌の文章も、比較的短い。とくに少年、少女相手の雑誌では、ふつうの大人の読む雑誌と違って写真や画が多く、文章は添え物のようで短い。ところが小説は何と言っても長く語られ、書き綴らねばならない。
つまり、顔の見えない相手に向かって長々と書き綴られていく文章、それに日常の話し言葉の文体が使われることになったのである。
このような少女小説の文体の基本型は、やはり前に述べたコミュニケーションの基本型としてのα、終助詞型と、β、接続助詞型とである。センテンス型が個人の存在を前提とし、作者個人が、絶対的断絶をへだてて読者個人にうったえるという形であったのに対して、日本語のα、β型は、作者と読者とが、基本的には断絶されていない、という前提で話が進められていく。作者の「これ何よ。」という発言は、読者にストレートにうったえかけてくる。そう受け取ったものが読者となれる。
とくにβの接続助詞型は重要である。これは引用文中にもある準β型も含めて考えるのだが、作者は至るところで終わりまで言わずに言葉を呑みこむ、読者はその呑みこんだところを、いっしょに呑みこみ、言わば秘密を共有していく。そういう秘密の共有者が読者の資格を持てる。
現代口語文が個人という存在を前提とする小説を生みだしたのに対して、少女口語文は、その前提は個人ではない。作者と読者とは全く切り離された別々の存在ではない。
もしこういう言い方が奇異に感じられるとすれば、それは近代以後一世紀近い翻訳文化のせいであり、奇異に感じられる分だけ翻訳文化に支配されているのであろう。たとえば濱口恵俊は個人主義に対して「間人主義」という言葉で人間や文化を語っているのだが、個人ではなく、人と人との間に実体がある、と考えるわけである。同じような考え方としては、和辻哲郎木村敏などの人間観がある。とにかく、個人を前提としない少女小説は決して荒唐無稽ではない。言うならば間人主義の小説である。
おそらく最初の少女口語文小説、新井素子の『あたしの中の……』は、その内容についてもきわめて間人主義的である。SF小説ということもあるのだが、主人公の「あたし」の身体には、いろいろな他人がのり移ってくる。小説の始めの方からの引用文中で「あたし」とともに、「――俺はまだ死にたくない。」と出てくる「俺」は、「あたし」を尾行している二十六歳の記者で、事故で死にそうになったとき「あたし」に乗り移った。続いてアベックの若い男女や刑事も乗り移ってくる。まあ、SFということもあるが、そのような珍事の突発する場面で、「これ何よ。」「まさか……。」「できる筈が……。」のような文体が、自他の決定的な限界をぼかして効果的である。
思えば近代小説は、十八世紀半ばのルソーの『告白』以来、「個人」を描き続けてきた。日本の近代小説もこの影響のもとで「自然主義」小説、私小説をつくりだしてきた。
しかし西洋の個人主義小説の影響を受けたということは、日本にも同じ個人主義小説が出現した、ということではない。すでに述べたように、日本の近代個人主義小説も又翻訳文化なのである。そして翻訳は、一見そのもとのモデルと同じものをつくりだしたと見えながら、実は一つずれた別のものをつくりだす。言葉の面からみると、近代小説の主人公は市民社会のどこにでもいる一人として三人称代名詞で語られることになった。英語で言うと he やshe である。これが日本語に翻訳されて、「彼」や「彼女」という言葉で語られることになった。私の見た限り、日本の近代小説の代表的な作品の多くは「彼」を主人公としている。
ところが「彼」とは翻訳語である。日本語には元来三人称代名詞はない。日本語の「彼」とは空しく、奇怪な言葉で、逆にだからこそ、近代日本の小説家たちはこの言葉をブラックボックスのような扱い方で大事そうに扱い、特異な意味をつくりだした。(詳しくは私の著書、論文など、たとえば柳父章翻訳語成立事情』岩波新書、一九八二年を参照していただきたい。)すなわち「彼」は日本の現実の中では実体が乏しく、孤立し、しかも真剣で悲壮である。
現代少女小説の中では、このような「彼」や「彼女」は全く扱われない。多くの場合、主人公は「あたし」である。「彼」や「彼女」が現われるとしたら、それは脇役の恋人である。
星新一は、全掲引用の中で、新井素子の文体の模倣は「けっこうむずかしいのではなかろうか。」と述べた。かつてルソーは『告白』の冒頭で、「かつてだれも試みたことがなく、今後も決して模倣するものはない」ことを書く、と述べたが、やがてヨーロッパ中でその模倣者が続々と現われた。新井素子の『あたしの中の……』はやがて集英社コバルト文庫に収められ、この文庫は次々に少女口語文小説家たちを登場させていった。やがて講談社X文庫なども同じような本を出していく。
このような少女小説は、いずれももちろん少女口語文の文体で書かれているが、その内容の面でも、すでに私の指摘したような特徴がかなり共通して見てとれるようである。つまり個人主義的でなく、間人主義とも言うべき傾向である。
たとえば久美沙織は『鏡の中のれもん(9)』(集英社、一九九一年)でこう書いている。

何も、あたしの知らないところで。
そんな遠くで。
お別れを言う暇もなく。
死んじゃうことないじゃない。
いくら、自分で選んだ道だからって……
ああ、そうね。自分で選んだことね。
しかたないわね。
……圭。

「あたし」と「圭」は、ここで切れるかと思えばつながる文体の中で、自他の厳然たる境界を越えた世界を描いている。同じような場面は現代少女小説の至るところにある。
このような文章は、熟練した小説家には甘くて読むに耐えない、とも受取れるかも知れない。逆に少女小説家の中で最も文才も教養もあるのは氷室冴子であろう。しかし私の見るところ、この作家は残念ながら教養がありすぎる。本質的に個人主義小説作家、現代口語文作家であると思われる。
教養ある知識人にとって、現代少女小説が読むに耐えないと無視されているのは、一つにはこの口語文体が、今日までのところ、「少女」たちに独占されている、という事情もあるかも知れない。しかしその歴史的必然性の重大さについては、私は十分述べたつもりである。現代の才能ある小説家の中から、個人主義小説ではない「間人主義」小説が出現することを私は期待したい。

川崎賢子×加藤典洋「空っぽの力」(P.29-42)

「自然の受けとめ方」の章、P.33-34より。

―― 富島健夫さんの時代でしょう。
加藤 ああ、青い性がどうとかいう。
川崎 彼は、女性としてのアイデンティティーは男とつき合うことで得られるんだということを、少女小説イデオロギーとして引っ張ろうとして、かなり観念的に、つまり、男の目から見た自然性にすぎないという意味ですが――出してきて、そういう小説を量産してました。ちょっと身を引き離して考えると変だなって思うんですが。
そうしたものがぱたっと売れなくなって、次のコバルトの牽引車となったのが新井素子さん。彼女が出てきて、ジュニア小説と呼ばれていたものが、がらっと変わったような気がします。新井素子さん大原まり子さんは、既成の肉体とか自然に対する信仰がすぱっと切れてました。そういう意味で、もしかすると軽かったのかも知れません。

既成の肉体とか自然に対する信仰がすぱっと切れているのは、二人とも根がSFだから、なのかも知れない。
次、「身体性の変容」の章(P.35-40)のP.35-37より。

加藤 川崎さんはどんな経緯でこの『少女日和』に集められたような書き手に関心を持たれたんですか。
川崎 リアルタイムで読んでいたのは晩年の吉屋信子新聞小説です。それから『新青年』の復刻が出て、久生十蘭とか夢野久作を知り、前後して尾崎翠の再発見みたいなものがありましたから、それで読むようになったんですけれど、わけのわからないおもしろさがありました。
わけのわからなさというのは、いろいろなものの名前が詰め込まれた言葉の遠近法が、わからない。戦後文学や昭和三〇年代、四〇年代の物を読んでるかぎりではわからないように、あたまが作られてしまっているんですね。おそらく具体的なものの名前であり、ある都市のある空間であり、建築であるのに、それが実にフィクショナルに読めてしまう。私にとってのその不思議さ、あまりのリアリティの無さをカバーするために後づけ的に調べて組み立てていくと、そういう小説を全然読めないないものにしてしまっている、何十年かの言語空間がここに詰まっているなあと思えてきたんです。
加藤 新井素子さん大原まり子さん、吉本ばななさんの入口はそのあたりのものとちょっと違うんじゃないですか?
川崎 少女小説だからとか同世代だからというのではなくて、むしろ男の子に教えてもらったり、例えば、私はお芝居が好きで年に一五〇本くらいはみますが……。
加藤 どんな芝居ですか。
川崎 なんでもいいんです。
加藤 宝塚とか?
川崎 私は宝塚評論家でもあるんですけれど(笑)、どんな見取り図だったかといいますと、例えば天津乙女とか春日野八千代の名前は、宝塚の舞台を見て知ったのではなくて、唐十郎さんの芝居のせりふのなかに出てきて、そこから逆転するまなざしも含みつつ宝塚を見るようになった。小説を読む場合も同じように、ここ数年の間に、私の中にみんな並列に入ってきて、全ての小説を少女小説を読むように、読み始めたのかも知れないんです。
加藤 川崎さんが新井素子さんにインタビューされた中で、新井さんが、早く読める小説の言葉をつくりたいと思って、言文一致みたいな文章をつくってみたけれども、やってみたらそれはしゃべっているのとは違うものだったということを言ってますね。このインタビューはいつごろですか。
川崎 五、六年前です。
加藤 新井素子さんのものが、先程のお話では、ジュニア小説からポスト・ジュニア小説への変わり目だった。
川崎 今はどこにでもある少女小説の文体ですけれど、新井さんが最初に書いたときは、文体そのものに対する拒絶反応が多かったんです。(複製者:『奇想天外』1978年2月号以外のソースを知りたい)
新井さんの文体がどういう軌跡を辿ったかというと、彼女がひじょうにスピード感のある、饒舌な文体で書きまくっていたときは、売上も量産も少女小説作家No.1だったわけです。
加藤 八十五年くらいですか。
川崎 そうですね。ところが、その後、国家創設ファンタジーみたいなものを書きはじめて、文体ががらっと変わって、神話的な物語の文体、いわゆる書くような文体になった。それで一挙にパワーがなくなったと私は思っているんです。そこから引き出せる一つの読み手の物語があるとすれば、いわゆる文章体への移行は文体の堕落であるということなんですね。吉本隆明さんの言い方をひっくりかえした言い方になりますけど(笑)。話体から文章体、文学体に移行することによって表現の水準なり力なりが失せてしまう。実は、少女小説というジャンルでは、それが特徴的に表れていると思います。

「量産も少女小説作家No.1」というのは疑問。当時コバルト文庫では年1冊ペースでしか刊行されていなかったし、その他の版元から出版されたものでも群を抜いて多い訳ではないごとが出版年表を見ると判る。一番多く小説が刊行された年は1986年と1992年の5冊である。→新井素子著作リスト
「国家創設ファンタジーみたいなもの」とはたぶん『ディアナ・ディア・ディアス』のことを指すのだろうが、この作品が発表されたのは1985年の『新井素子100%』においてである(単行本は翌年の1986年出版)。文中の言葉で言えば「少女小説家No.1」だった時である。決して「後に」ではないことに注意。その時点で「星へ行く船シリーズ」は『カレンダー・ガール』までしか出ていなかったし、『結婚物語』も『新婚物語』も出版されてはいなかった。文体が文章体に移行したかのような言い方を川崎はしているが、こうして見ると様々に使い分けられた文体の中のバリエーションの一つに過ぎないことが判る。なぜ川崎がこのような誤ったイメージを持つに至ったのか、疑問が残る。リアルタイムで読んでいなかったのかも知れない。いずれにしろ、ここで新井素子さんの文体について語るには基本的な知識が欠けていると言わざるを得ない。
ただし、ここにはタイトルが出てこないが、『あなたにここにいて欲しい』以降、新井素子さんが文章を自分の制御下に置くという実験を試みていたのは事実である。(ソースを忘れた)
では、続き。P.37より。

加藤 文学体といえば、尾崎翠は、新井素子さん的な文体とは全然違う強固な文体をもっていますよね。最近の人で村田喜代子さんて人のを読んでると、すごく尾崎翠に似てて、和文タイプでカシャッ、カシャッ、と打ってるらしいけど、その感じが良く出ている。でも、そういうのを見ると、尾崎翠新井素子さんの文体はどこかにつながりがあるようにも思えてきますね。
川崎 文体というのは自然なものではなくて、それ自体虚構であるとも言える。尾崎翠の強固な文体というのは、ひじょうに演技的な文体であるわけです。ある時期井伏鱒二が試みていたような、わざと古色めかした翻訳文の文体ですから、そこには虚構としての古さと虚構としての新しさががつきまぜられている。そして、少女的な視点ばかりでなく、老いているお婆さんの視点とか、架構された視点が混ざったり、組み合わされたりしていくわけです。一方、新井さんの文体というのは虚構の肉声なんですね。
ですから、もしかしたら、その虚構性がひとたびコードとして成立すれば少女小説の文体は書きにくいものではなくて、自動運動としていくらでもかけるようになる文体かも知れない。

石原秋彦×高山英男「ジュニア・ノベルズの新たな広がり その言語感覚の行方」(P.43-57)

石原秋彦は十数年コバルト文庫と『小説ジュニア』→『Cobalt』の編集長を務めていた人物である。
「少女漫画と少女小説」の章(P.45-48)のP.47より。

―― 氷室さんたちが出てくる直前は、それまでいくつかあった少女小説誌がなくなっちゃって、残っているのは『小説ジュニア』だけという状況でしたね。
高山 ああそういえば、それまでは小学館や学研でも少女小説誌を出してましたね。
おそらく、ちょうど七三年のオイルショックの後くらいに、少女漫画の世界が急に活性化してくるんですよね。集英社系では池田理代子さんみたいな大河歴史ロマンや陸奥A子さんとか岩館真理子さんたちのオトメチック派が登場するし、講談社系では里中満智子さん、大和和紀さん、庄司陽子さんが活躍し、さらに萩尾望都さん、竹宮恵子さん、大島弓子さんといった”昭和24年組”と称せられる人たちが新感覚ロマンを描き始めるというふうに、いろんなかたが現れて、10代の少女の関心がすーっと漫画のほうに移ってしまった。それが少女小説誌が売れなくなった時期と重なっている。
石原 おっしゃるとおりです。萩尾望都さんとか、竹宮恵子さんとか、ひじょうに文学性の高い作品がどんどん出て、活字の世界はみんな食われちゃった。これで富島さんたちのつくった第一次の少女小説ブームがぺしゃんこになって、『小説ジュニア』だけが、がんばっていたわけです。けれども、ひじょうに部数が低迷してまして、その打開策が青春小説新人賞だったんです。
でもそのおかげで、作家の新陳代謝が行われましてね。新井素子さんとか、久美沙織さんとか、そのほか男性も含めて、20代の新しい感性を持った作家たちが出てきました。それで盛り返しまして、昭和五〇年代の中ごろには、文庫のほうにも読者がつくようになりました。
世間では、活字ばなれ、活字ばなれと騒いでましたけど、ぼくらは少しもそれは感じなかったですね。毎年毎年、部数が倍増してましたから、大人には感心のない世界だったですから、世間にはあまり注目されることもなく密かにですけれど、この十年間、部数的にはかなり出てたんです。

「新しい文体の広がり」の章(P.51-54)のP.51-52より。

石原 氷室さんの作品は、感覚的に新しい文章で、文体的にもしっかりしている。
―― 石原さんは、新井素子さんや花井愛子さんの原稿を初めて見たとき、はたしてこのままの文体でいいのかと迷ったけれども、彼女たちと何度もやりとりしてから、なんとなく納得できたということをおっしゃってましたね。
石原 ですからもう、デビュー作にみなさんびっくりしちゃうんですよ。新井素子さんの『あたしの中の……』は『奇想天外』の賞をとったんですけど、とんでもないところに「。」がついていたりして、句読点が違うんじゃないかと思って、こちらで手を入れてから著者校出したら、また全部直してきましてね。本人呼んで、話をしているうちに、ぼくにはよくわからないけれども、これが新しいっていうことなのかな、おもしろいかもしれないと思えてきて、納得したんです。結果的にひじょうに新鮮で、多くの人たちに影響を与えましたね、新井さんの文体は。
高山 ぼくも、あの新井さんの『あたしの中の……』を最初見たときはショックだった。でも、10代の少女が、日常的に呼吸してるように文章を書いてるなあという感じがすごくしたのね。
―― 彼女が16歳のときの作品ですね。
高山 高校のクラスの友だちに原稿見せたら、続き読ませてって言われて、だからいっしょうけんめいクラスの友たちを喜ばそうと思って書いたということを、あとがきに書いてて、ああ、友達におしゃべりして聞かせるような調子なんだと思った。
石原 女の子のおしゃべりですよ、基本的には。息遣いがね。センテンスが短くて、テンポの速い、省略された文章っていうのかな。
高山 そういうことからすると、氷室さんなんかはややクラシックで、小説の定石をふまえた上でっていうところがあるから、大人でも安心して読める。
(略)

同じくP.53より。

高山 新井さんのところでも話が出たけれども、ちょっと変なところで句読点があったり、改行があったりっていうことでいうと、花井愛子さんの小説の文体はショッキングですね。彼女のは、新井素子さんの10代の女の子の息遣いが聞こえてくるというのとは、また異質ですね。かなり意図的。最初に『ウエンディの贈り物』というのを読んで、不思議な文体だなあと思った。
石原 花井さんの小説はひじょうに計算されてますね。新井さんの文体をもっと徹底的に研究して、さらに分解して、構成しなおしたっていうか。
新井さんの小説を活字に組むと、センテンスは短いんですけど、かなり頁が埋まるんですが、花井さんは句読点で全部改行ですから、頁の下半分がみんな白になっちゃう。
高山 「そして」なんていって、「。」で改行になっちゃうから、少ない字で一冊の本が出来上がって、ああいいなって思う(笑)。
石原 普通の文庫本だと、四〇〇字詰で三〇〇枚の原稿が入るんですけれど花井さんは一五〇枚くらいしか入らない(笑)。
―― 10年ほど前には、氷室冴子さんの本も、改行がとても多くて、本の頁がやけに白っぽいなという印象でしたが、今になってみると、氷室さんの本はけっこうびっしり活字がつまっているように感じますね(笑)。
石原 でも、やっぱり、ぼくなんか花井さんの文章についていくのは正直いってつらいです。
高山 ぼくはあんまりつらくなかった(笑)。モラル的にはクラシックだなあと思ったけれど。