『Cobalt』1984年夏号。

オークションにて入手。新井素子さんのエッセイ「………ごめんね あたしの最新事情」が掲載されている(単行本未収録)。「いい訳エッセイ」とキャプションが付いている。冒頭には編集部からのお願いが記載されている。

悩みに悩んだ素子さんの一大決心に、よろしくご理解ください。編集部からもあわせてお願い申しあげます。
なお、よろしければ、お手紙はひきつづき当編集部気付けでお送りください。転送されたお便りは、素子さんに、しっかり読んでいただけると思います。−編集部−

内容はファンレターに返事を書かなくなったことの状況説明と謝罪である。1982年頃*1よりファンレターが急増し、アルバイトを雇ったり(返事を出すそれだけのために!)、作業量を減らすために仕方なく文書のコピーを返事として送ったりしまいには葉書に代えたりしたがどうしてもさばききれず、さらに手書きの手紙をまとめて(この中には字が薄かったり読みにくい色で書かれたものもあったそうだ)毎日読んでいるため疲れ目で目の焦点が合わなくなったなんてこともあり、このままでは小説を執筆するのに多大な影響が出てしまうので、返事を書くのを止めることを決心した、と書かれている。
新井素子さんのもとに届いたファンレターの量は、文中の記述によると1984年の1月から4月までの分で葉書2000枚を使ってもまだ返事を出せないものがあるというから、月に500通超ということになる。確かに尋常ではない数だ。個人の力ではどうしようもないレベルの話だと思う。それでも限界まで真摯に対応しようとしていたのだから恐れ入る。
このようなエッセイをわざわざ書かねばならないというのが、この時期のコバルト読者と作者の距離感が現れているだろうか。お友だち感覚とでもいうのだろうか、返事が来ないと文句を言ってくる人もいたらしい。久美沙織も『コバルト風雲録』の中でファン対応の苦慮を語っていたなあ*2。作家は小説を発表してくれるのが読者への一番の贈り物だと俺なんかは思うのだが、その辺りは認識に大きな隔たりがありそうだ。今でも10代の女の子のファン気質は変わっていないのかな。