日本経済新聞2009年1月28日夕刊。
新井素子掲示板でyuzoさんに教えてもらった情報。7面(「エンジョイ読書」面)に掲載されている大森望の連載コラム「現代SF半世紀の旅」に新井素子さんの名前が登場している。コラムの内容は、『スター・ウォーズ』の大ヒットによって日本にSF映画ブームが到来した頃のSF界の状況について。SF専門誌が次々と創刊される一方休刊も相次ぎ、また「第三世代」と呼ばれる新人たちがデビューした、ということが語られている。新井素子さんの名前が登場するのはこの箇所。
この時期、日本SFは新人ラッシュに湧いた。七七年、日本初の本格スペースオペラ《クラッシャージョウ》シリーズをひっさげて、ソノラマ文庫から高千穂遙が華々しくデビュー。
同年、夢枕獏が〈奇想天外〉に登場。七八年と七九年の奇想天外新人賞からは新井素子、大和眞也、山本弘、谷甲州、牧野修がデビューした。中でも話題を集めたのが、星新一に絶賛された新井素子。高校二年で出した『あたしの中の……』は、一人称の口語文体が若い読者に絶大な影響を与え、たちまち人気作家となった。
若干事実関係を補足しておくと、新井素子さんのデビューは正確には1977年12月発売の『奇想天外』1978年2月号*1。
また、いつの時点で「人気作家」の仲間入りを果たしたか、というのは詳しくは判らないのだが、「たちまち」という程デビュー直後から人気が沸騰した訳ではないような気がする。若年層に人気が拡がっていったのは1980年にコバルト文庫で作品を発表して以降ではないだろうか。1978年末〜1979年は大学受験のため休筆。1980年に『いつか猫になる日まで』でコバルト文庫に初登場、1981年には『星へ行く船』が出版された。雑誌『ファンロード』に名前が登場するのは1981年になってからで、デビューしてから約3年後のことである。
コバルト文庫での人気が定着してからも世間一般の知名度はまだそれ程でもなかったようで、1983年に講談社より刊行された『二分割幽霊綺譚』の帯には、
大型新人の書き下ろし長編!
と書いてあった。店頭でこの帯を見て、全然新人じゃないのになあ、と少々がっかりしたのは俺が14歳の時の話。