中島梓『小説道場』I・II。

中島梓栗本薫)が『JUNE』で連載していたコーナーを書籍化したもの。読者が投稿してきたJUNE小説(今風に言えばボーイズラブ小説ですな)を道場主である中島梓が批評し、お眼鏡に適ったものは門弟としてビシビシしごいていこう、という主旨である。批評家でもあるプロの作家が創作に関わるあれやこれや(作家の特性とか心構えとか具体的なテクニックとか)を公開してくれている訳で、別に俺は作家志望でもなんでもないが裏話的な面白さもあって楽しく読んだ。
文中に新井素子さんの名前が登場している。『I』のP.87-88。絡みの描写について。

あのね、ウノ・コーイチロー先生のお小説ってね。スゴーいわけでしょ。ところが、たとえば、お巡りさんが検閲してもひっかからないンだって。
どうしてか、というと、とにかく、ヤラシイのはたしかなのですが、「どこが」「どうして」「どうなっておるのか」が、さっぱりわからんのだそうです。
そのクセしてヤラシイ感じがする。しかし具体的な描写というと、すごくロコツに書いてるようで、実はナーンニモ書いてないんだ、と。
なるほど言われてみると、
「あ、いい。
私。感じてしまう」(何を?)
「私、濡れちゃったんです」(何? 雨?)
「あ。
すごい。
この人ったら」(何が何が)
たしかにわからんわね。これは。だーから新井素子が女ウノコーイチローしても、誰も何も言わんのだわ。
ま、しかしそれがプロというもので、アマチュアは逆に、「どこ」が「どう」なっておるかだけがやけに即物的に書いてあって、あんましエロでないんだそーです。

文体の類似を栗本薫も指摘していた訳だ。栗本薫新井素子宇能鴻一郎の文体を比較した文章が他にもあったような気がしたんだが見つからない。素研にも掲載無し。勘違いかなあ。
次、『II』。こちらには新井素子さんの名前は出てないんだが、たぶん新井素子さんのことじゃないかな、という話。巻末座談会「小説は、書き手自身の人格の問題です」(中島梓今岡清*1佐川俊彦*2)よりP.241-242。

今岡 小説を書くなら、常識をわきまえなさい。
中島 普通の暮らしがちゃんとできて、常識をわきまえていて。
佐川 で、心の中には非常識をためている。
中島 非常識がなくて、常識だけでなってしまって、野望だけが波打ってたりすると、すごいアホな小説を書いてしまう。それも不幸だ。
今岡 まったく違うものを頭に入れてないといけないわけでしょう。小説家ってみんな頭がおかしいと思うのね。
中島 だから二律背反をそのままもち続けるエネルギーがないといけない。
今岡 作家とつきあっていると、この人は、わりと常識的だろうと、一般的に思われている人でも――。
佐川 家に行くと、ぬいぐるみが山のようにあったりして(笑)。
中島 (笑)あっ、こら! シーッ!
佐川 (笑)そういうのがあるから面白い。ふつうの女の子だったら、やっぱり違う。
中島 普通の女の子がそうだったら、誰もハナもひっかけてくれないよー(笑)。ただのアホの子よ。(笑)
今岡 そう言ってしまうとミもフタもない。常識がありかつおかしくありなさい、とかね。
中島 小説を書くための知識としての常識。

これ、新井素子さんのことだよね。ひどい言いようですな(笑)。ぬいぐるみ愛好者が読んだら気を悪くするんではないだろうか。

*1:中島梓の夫。当時『S-Fマガジン』編集長。〈新鋭書き下ろしSFノヴェルズ〉版『・・・・・絶句』で巻末解説を書いている編集部のIさんはこの人。

*2:当時『JUNE』『小説JUNE』編集長。別名・藤田尚。ささやななえの夫。