単行本版『・・・・・絶句』上巻のP.309に拓ちゃんのこんな台詞がある。
「ん。ちょっとね……本当にちょっとだけ、誰かに聞いて欲しかったんだ、あたしの悩み。ほら、言うじゃない、もの言わぬは腹ふくるる業なり、って」
その健気さには思わず涙が出そうになるが、言っているのが男だと思うとちょっとげんなり。いや、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、この「もの言わぬは腹ふくるる業なり」という有名な慣用句のことである。「言いたいことを言わないと気分がよくない、不満が溜まる」という意味で、もともとは宋の蘇軾の詩に出てくるようだが、この句の出典を俺は今まで高校の時の古典の補習授業の記憶を頼りに「大鏡*1」だと思っていたのである。しかし、改めて原文を読み返してみるとこのフレーズそのままではないことに気づいた。
「年頃、昔の人に対面して、いかで世の中の見聞くことをも聞こえあはせむ、このただ今の入道殿下の御有様をも申しあはせばやと思ふに、あはれにうれしくも会ひ申したるかな。今ぞ心やすく黄泉路もまかるべき。おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける。かかればこそ、昔の人はもの言はまほしくなれば、穴を掘りては言ひ入れはべりけめとおぼえはべり。かへすかへすうれしく対面したるかな。さてもいくつにかなりたまひぬる」
「おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹ふくるる心地しける」とは、言っている内容は同じだが言い方は今とかなり違っている。そうだったのか。「大鏡」より年代が下ると吉田兼好が「徒然草*2」19段で、
いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
と書いていて、「もの言わぬは腹ふくるる業なり」に近い表現になっているがそのものズバリではない。
何気なく使っていた言葉だが由来がよく判らない。「もの言わぬは腹ふくるる業なり」はいつからこの形で使われるようになったのか? 同じフレーズが書かれている書物はあるのだろうか?