小林信彦『面白い小説を見つけるために』(『小説世界のロビンソン』)。

読了。図書館で借りた。自伝的小説論『小説世界のロビンソン』に加筆・修正・再編集を施し改題した本。元々は『波』(新潮社)の1984年1月号〜1987年12月号に連載された評論である。改題されたこのタイトルは、読者に対してこの本の姿勢を表明すると同時に、著者が読書に費やしてきた日々の背景をも物語っている。多大な読書量と知識に基づいた考察は、著者の小説に対する考え方を鮮やかに伝え、含蓄に富んで面白い。やたらに読みやすくて、読んでもいない本のことを思わず判った気にさせられるのは危険である。
ちなみに、先に出版された『小説世界のロビンソン』(新潮社/新潮文庫)との大きな違いは次の通り。

  1. 第四章 「吾輩は猫である」と落語の世界……削除
  2. 第五章 「吾輩は猫である」と自由な小説……削除
  3. 第六章 「吾輩は猫である」と乾いたユーモア……削除
  4. 第三十四章 新聞小説の公用……削除
  5. 附章 メイキング・オブ・「僕たちの好きな戦争」……削除
  6. 光文社知恵の森文庫版あとがき……追加
  7. 年譜……追加

それから、”終章 とりあえずの終り”で漫画について言及した箇所が削除されている。吉田秋生の名前が出てくるのだが、そのせいかどうか単行本版と新潮文庫版の表紙イラストは吉田秋生が描いている。
削除された第三十四章には、朝日新聞掲載の連載小説『極東セレナーデ』を書くにあたり、言文一致体を採用する件が書いてあり、氷室冴子の名前が登場する。新潮文庫版P.396より。

言文一致体、といってはみたものの、短大卒の二十歳の女の子をヒロインにして、お喋り(原文傍点)をさせるという時にあって、改めて、彼女らの日常会話が気になり始めた。
(中略)
十代、二十代の女の子のしゃべり言葉は極端に変化した。いつごろから変ったのか、あとで、氷室冴子さんにきいてみたが、氷室さんが育った北海道はもともと、男女ともに、言葉が荒っぽいのだそうで、そのままの言葉でジュニア小説を書いたのが一九七七年ごろだという。いつごろ変化したのかは、氷室さんでもわからなかった。

”第十七章 小説が古びるときとは”に既に名前は出ていた。同じくP.201〜202より。

莫迦を言うな、という人はズレているのである。わが家の中一の娘は、スミとかレンタンがどういうものかわからない。〈マッチでガスに点火した〉という描写があったとしても、具体的にどんな行為かわからない。わからない描写の集積にうんざりして、氷室冴子の作品ばかり読んでいいる娘が突如、太宰治の「富岳百景」を読みたいと言いだす。テレビの教養番組で朗読されたのをきいて、この作家は自分の感覚にあうと思った(原文傍点)というのだが、つまり、太宰は感覚の鮮烈さ、語り口のうまさで時代を超えてしまうのだ。

著者が若い世代に接近しようとする時の手掛かりとなっていたのかも知れない。その象徴性は面白い。北海道の荒っぽい言葉そのままに書いた小説って何だろう。読んでみたい。ついでと言っては失礼だが、『極東セレナーデ』も読んでみよう*1。関係ないが、小林信彦も「莫迦」を使う人であるのはちと興味深い。
あとはまあどうでもいいことだが、”第二十二章 「富士に立つ影」と〈茫々たる時〉”の同じくP.239に、

ぼくの記憶している範囲で、「富士に立つ影」について文章を残しているのは、大井廣介大岡昇平の両氏だけだ。ほかにもおられるかも知れないが、ぼくは知らない。同世代の作家、あるいはもっと若い作家が、この小説を読んでいるかどうかは、まったく、わからない。

とあったので、『まるまる新井素子』に収録された新井素子さんの『富士に立つ影』についての書評を思い出した。初出は『週刊宝石』1982年7月17日号で、P.109〜112に掲載されている。タイトルは「主要人物が多く、筋がややこしいけれど、すっごく面白い時代小説」。編集部より依頼されて読んだらしいが、途中から面白くて読むのを止められなくなった、と書いてあった。

*1:新聞連載時に途中まで読んで挫折した経験あり。つまらなかったからではなく、毎日読むのが面倒くさくなっただけである。