中島梓『夢見る頃を過ぎても 中島梓の文芸時評』。

福武書店(現ベネッセ)の文芸誌『海燕*1』1994年5月号〜1995年4月号に連載された文芸時評を収録した本。「少女たちの見る夢は」のP.156に新井素子さんの名前が登場している。

それは、あなた(原文傍点)にとっては「まったく関係ない」だろうか? 少女たちが馬鹿だろうと差別されていようと抑圧されていようと、「それが私に何の関係があるのか」だろうか?
下らないパターン認識の世界で、悪評高い「下半分まっしろけ」文体で書かれたあの不気味なピンク色の世界。決してありうべからざる美貌と金とまったく正体のわからない「才能」がいともたやすく濫費される世界。ありうべからざる「19歳の天才デザイナー」や「16歳の少年社長」がドコドコ登場する世界。「いかにむさくるしく思いどおりにならない現実からかけはなれているか」だけを目標としているのか、とも思われる世界――少女マンガ。レディースコミック。ハーレクイン・ロマンス。シルエット・ロマンスやおい。氷河と一輝。若島津と小次郎。JUNE。新耽美派コバルト文庫ルビー文庫スニーカー文庫。ホワイト文庫。エックス文庫。花井愛子。氷室冴子新井素子折原みと山藍紫姫子花郎藤子。諏訪雪里。ごとうしのぶ。尾崎南高河ゆん中村うさぎ市東亮子。「炎の蜃気楼(ミラージュ)」。森園みるく吉原理恵子。この意味のない単語の列挙のうち、どのくらいあなた(原文傍点)が一回でもきいたことのある単語があっただろうか? あるいはあなた(原文傍点)にとって意味のある単語が。
それは少女たちにとっては確かに意味のある、とても意味のある単語なのだが(原文傍点)。

「ホワイト文庫」はたぶん「講談社X文庫ホワイトハート」のこと。
「エックス文庫」はたぶん「講談社X文庫ティーンズハート」のこと。
正確なレーベル名を書かないのは、中島梓栗本薫)がティーン向け文庫レーベルのことをよく知らないから、というのがこの本を読んでいるとよく判る。

  1. P.56……吉本ばななの『アムリタ』についての考察で、活字はコバルト文庫の花井愛子より少ないしさあ、とある。花井愛子は講談社X文庫ティーンズハートの作家である。
  2. P.147……スニーカー文庫で人気があるという折原みとの「アルトゥール星伝・金の砂漠王」、とある。「アルトゥール」じゃなくて「アナトゥール」。二度「アルトゥール」と書いてあるので誤植ではなさそうだ。それにスニーカー文庫じゃなくて講談社X文庫ティーンズハートだ。更に次のページではコバルト文庫になってるのは一体何故? ついでにそのページでは、スニーカー文庫コバルト文庫や「エックス文庫」と同じ少女向け小説レーベルとして扱っている。

めちゃくちゃだ。俺が読んだのはベネッセから出版された単行本版だが、文庫版では修正されているのだろうか。

新井素子さんの件とは全く関係ないが、例1と同じ段落(長いのである)の最初の部分にこのようなことが書いてある。P.55より。

で、「マリカの永い夜」になぜショックを受けたか、という話に戻るけど、うううむ、お姉さんは最近多重人格の本ばかり読んでいたが、これ程「軽い」多重人格の御本ははじめてでしたのでショックを受けてしまいました。これ読んでるとなんだか多重人格ってとても楽しそうに見えてくるんだよね。私もやってみようかな、などと思います。「あのう、ご趣味は?」「はあ、多重人格のほうを少々」みたいな。なんか大勢いて楽しそ〜、みたいな。

グイン・サーガ』のあとがきに多重人格で苦しんだと書いてたのはこれか、この読書体験が元か。つまり多重人格ごっこであれほど深刻ぶって見せてたってことか。実際に多重人格障害に悩んでいる人を馬鹿にした文章だと思う。『グイン・サーガ』第1巻でのハンセン氏病患者に対する筆禍事件は、著者の内に何の反省も、何の成長も、もたらさなかったように見受けられる。
この本で*2中島梓は複数の仮想敵を登場させ、持論の根拠も薄弱なまま強弁で相手に立ち向かっていくのだ。自らを省みることなく気に入らないものに対して毒を吐きかけるだけの姿は電波ゆんゆんで痛々しい。もし本当に何らかの精神障害に苦しんでいたというなら、多重人格障害というよりも演技性人格障害に当てはまるんじゃないか。本の内容を云々する以前の段階で、その著述スタイルにめげる。

*1:海燕』は1996年に廃刊。

*2:いや、他の本もそうなんですよ。『ベストセラーの構造』『コミュニケーション不全症候群』『タナトスの子供たち―過剰適応の生態学』を読んだ。