大森望『特盛! SF翻訳講座』。

読了。bk1にて購入した本らしい。語尾が伝聞調なのはいつ買ったのか覚えがないからで、bk1のパッケージの未開封小包がなぜか部屋にあったので、開けてみたらこの本が出て来たという次第。初出は『S-Fマガジン』に連載された「SF翻訳講座」というエッセイである。掲載された小説は読まなくてもこのエッセイだけは毎月欠かさず読んでいたくらいで、そのせいで俺の本棚には研究社の『リーダーズ英和辞典』まであったりするのだが、そんな訳で発売時にいそいそと注文したのだろうと思いつつ、なぜそれを覚えていないのかが不思議で仕方がない。
改めてまとめて読んでみても翻訳業の裏表が縦横無尽に書かれていて面白い。こういう翻訳入門的な本が大学時代にあれば良かったのに、と今さらながらに思うのは、SF研の有志とSF作品の翻訳に取り組んだことがあるからである。その時感じた方法へのとまどいと成果へ疑問は、何も勝手の判らない学生が勢いだけで取り組んだことに由来する。もともと英語が得意な人間ばかりじゃなかったので、こういう本があれば非常に参考になっただろうし、翻訳作業中にほんの些細なことで角突き合わせてあーだこーだ言い合うこともなかったんじゃないか、という気がする。
で、この本に新井素子さんの名前が登場する。本当に登場するだけなんだが、ページを記しておけば「二の巻 実践的SF翻訳講座・ウラ技篇」の第3章「ささやかだけれど、役に立つこと――一時間でできる訳文の磨きかた」のP.59、翻訳では漢字表記はなるべく減らす方がいい、という話題で。

村上春樹新井素子が漢字にしてるものをオレがどうしてひらがなで書かなあかんのや、とお怒りの方もいるでしょうが、これにはちゃんとした理由がある。翻訳小説は読みにくいのである。登場人物が、山田太郎とか緒形次郎とか長嶋茂雄とかまともな名前をしていることはめったにない。たいがいコリン・キャップとかウィリアム・テンプル、フィリップ・E・ハイとかって特徴のないカタカナ名前だし、ギョルゲ・ササルマンとかメシュテルハージ・ラヨシュとかホリア・アラーマとか、めちゃくちゃとしかいいようのない名前が出て来ることも珍しくない。

ただでさえ翻訳SFは読者に緊張を強いるので、漢字表記を減らすことによりせめてその抵抗感をできるだけ減らすように務めなければならない、という話である。
ここになぜ村上春樹新井素子両氏の名前が出て来るのか、という疑問が当然湧く訳だが、文脈からすると読みやすく柔らかい文体を書く作家だから、ということだろうか。単に思いつきで漢字が少なそうな作家を挙げた、とか。その辺りはよく判らない。