『素子の読書あらかると』。

読み返した。「はじめに」に書かれた内容に感銘を受けた。P.14の「それにまた。」以降の文章である。新井素子さんが、本と出会うとはどういうことか、というのを書いておられる。その最初の部分を抜き書きしてみる。

本と出会う時には、読者の方の年齢だの精神状態だの成熟状態だの、色々なものがネックになります。

とはまさにこの本を読んで感じたことであった。実際、単行本版を読んだ時にはこの部分にもさしてひっかかることなく読み流していたものだ。それが今改めてこの本に出会い、過去には感じなかった思いが様々に湧き起こったりするのを身内に体験すると、俺にとって物凄い説得力に満ちている。この部分ばかりでなく、エッセイの内容から受ける印象がまるで異なっていたりもするのである。例えば、前は「ある意味でホラーでミステリー」の中で紹介された夏樹静子の腰痛闘病記『椅子がこわい』なんて全く関心を惹かれなかったのだ。だが、今回は読み終わって思わずamazonに注文してしまった。この違いに自分で驚いたのである。
単行本が出てから文庫が発売されるまで、たった4年とちょっとの間にも人は変わらずにはいられない。そのことを痛切に再認識させてくれたという点で、なかなか味わい深い読書体験だった。

ミス日本。

「ミス日本」にこの辺りの人間が選ばれたらしい*1。珍しいこともあるもんだという話題で今朝の食卓は盛り上がったのだった。
盛り上がったとか書きながら、実は「ミス日本」とは何なのかをちっとも知らないのだった。「ミス日本」とは何をする人ですか。応募する人が少なからずいる上、選ばれて大層喜んでいるくらいだから、きっと名誉ある立場なのであろう。そう言えば、「ミス鹿児島」という人はジュビロ磐田がキャンプで鹿児島に訪れた時に選手に花束を渡したり、ヤマハスタジアムの「鹿児島デー」に来訪して選手に花束を渡したりしていた。こちらの地元の「ミス××」も東京駅でお茶を配って地元の物産品をアピールする仕事をしていたりする。してみると、「ミス日本」もキャンペーンガールの一種なのであろうか。
しかし文化が異なると事情も異なるのである。海の向こうアメリカの「ミスアメリカ」は闘う人である*2。昔は日本に出稼ぎに来て「秘密結社エゴス」と死闘を繰り広げたりしていたのを幼心に憶えている。さすがに世界の警察を自任する国家に生まれ育った女性だけのことはある。今頃はテロリスト相手に正義の鉄拳を振るっているかも知れない。こうして考えると「ミス日本」が普通の女子大生であるのは心許ない。万が一のことを考えて専用のバトルスーツを作っておくのがいいんじゃないか。>国防省

*1:ジュビロ磐田河村崇大は「ミス日本」の高校の先輩に当たる。

*2:http://legion.neopolis-jp.net/tokuheroine3missa.htm