小林信彦『オヨヨ島の冒険』。

読了。図書館で借りてきた本。児童向けのコメディ小説である。新井素子研究会には既に情報は掲載済みなのだが、まだ読んでいなかったのである。
一読して文章が新井素子っぽいのに驚く。一人称「あたし」の女の子が主人公の冒険小説で、地の文での語り口や読者に語りかける調子に近似が認められる。それはもちろん誤解なのであって、巻末の新井素子さんによる解説を読めば、この小説の文体が「新井素子っぽい」のではなく、逆に新井素子さんがこの本の文章に影響されて自分の文体を作りあげたということが判るのだった。

 でも、何より衝撃的だったのは、この文章と会話。
 この表現が正しいのかどうかちょっと自信はないのだけれど、地の文や会話で遊んでいる感じがする。ストーリーだけじゃなくて、地の文や会話で、読者を楽しませてくれようとしてるっていうの、私、初体験だった。お話の会話で掛け合い漫才(のようなもの)をしてもいいだなんて、私、全然知らなかった。

この文章を”聴覚的な文章”と新井素子さんは呼んでいる。ありありと、まるで目に見えるように、その場の情景をうつしだすのを「視覚的な文章」と呼ぶなら、と次のように述べている。

 聴覚的な文章っていうのは、その、耳版だ。文字で書かれた文章が、まるで実際にそこに音があるように聞こえてきてしまう。例えば登場人物三人が会話をしているシーンなら、三者三様の声がありありと聞こえてきて、あまつさえ、その声質だの声音だのまで、特定できてしまう。

この小林信彦の”聴覚的な文章”における会話の”間”に憧れて、自分の文体を作ろうと思った経緯が述べられている。

 そして、以前、『オヨヨ・シリーズ』を最初に読んだ時感じた、「これだ!」って思い、きっとこのことだろうって気がついたのだ。私の文体を作る時、その、お手本にしたい文章が、これだ。小林さんの”間”や、”会話の妙”こそが、私が理想とする文章。

2月26日の日記(id:akapon:20040216#p2)で触れた「月刊カドカワ」1989年11月号のインタビューに私のこのどっちかっていうとおかしな文章、子供の頃、小林さんの小説を読んで、それに触発されてできた部分があるからです。というコメントがある。その具体的な内容が記されている。非常に興味深い。文章の”間”と”会話の妙”を追求して新井素子さんの文体が出来たというのは、あの(特に『・・・・・絶句』以前の)文章のリズムや、登場人物達のいきいきとした会話を思い起こせば頷けるものがある。

 何か、とても解説とはいえない、個人的な思い出の話ばっかりになってしまったけれど、でも、これ、しょうがないって、半ば開き直って、私は思う。
 ごめんなさい、だってこのお話って、”私の人生を決めた三冊の本”なんてテーマを貰った場合、絶対はいる本なんだもの。どうしても、個人的な思い出しか、でてこない。

新井素子さんにここまで影響を与えた本である。興味のある人は一読をお薦めする。