『S-Fマガジン』1998年2月号 Part1。

「1998年オールタイム・ベストSF」は次回に取り上げるとして、今回は他に新井素子さんの名前が登場してきた箇所を拾ってみる。

日本SF出版史概説 現代日本SFの歩み:1950〜1996

まずは星敬のエッセイ「日本SF出版史概説 現代日本SFの歩み:1950〜1996」から。P.194からP.209まで15ページに渡って日本SFの歴史を概観する力作エッセイである。1996年6月号に掲載された「現代日本SFの歩み」を改稿したものとのことなので、これもまたチェックせねばいかん。以下、新井素子さんの著作の歴史的背景も把握できるように引用は長めにしてみる。
最初に新井素子さんの名前が出てくるのはP.201。

七七年、来るべき八〇年代の日本SF界を予感させる動きが始まっている。日本SF第三世代の登場である。
この年、奇想天外が主催した〈第一回奇想天外新人賞〉に、新井素子あたしの中の……、大和眞也「カッチン」、山本弘「スタンピード!」の三作品が佳作入選。新井素子は、翌年、奇想天外七八年二月号でデビューする。〈奇想天外新人賞〉は、その後七八年、七九年と都合三回まで開催される。第二回では、谷甲州「一三七機動旅団」、牧野ねこ(後の牧野修)「名のない家」が佳作入選、第三回からは、児島冬樹「ドッグファイター」、中原涼「笑う宇宙」が佳作入選、各デビューしている。

文中では新井素子さんは1978年にデビューしたことになっているが、『奇想天外』1978年2月号は1977年12月発売の筈であり、賞の結果が発表されたのもこの号であることから記述は誤りであることが判る。
次はP.202。

七八年、SF、ミステリ、時代小説、そして評論と、マルチな才能を発揮し活躍を続ける栗本薫中島梓)が、九月にミステリ作品『ぼくらの時代』(講談社)を刊行デビュー。SFマガジンには同年十二月号に「ケンタウロスの子守唄」で初登場。また翌七九年九月、大河ファンタジイ《グイン・サーガ》シリーズを開幕する。探偵小説専門誌・幻影城が主催した〈第三回幻影城新人賞〉から、「緑の草原に……」(幻影城七八年一月号)で李家豊(後の田中芳樹)がデビュー。同年開催された〈第五回ハヤカワ・SFコンテスト〉(結果発表はSFマガジン七九年七月号)では入選第一席に野阿梓「花狩人」、佳作入選に神林長平「狐と踊れ」、参考作に浅利知輝「超ゲーム」が選定される。
この年二月には、ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、ハインライン『愛に時間を』を皮切りに早川書房の《海外SFノヴェルズ》がスタート。六〇年代、七〇年代を代表する海外SFを精力的に紹介する叢書となった。七月にはライバー『ビッグ・タイム』、ル・グィン『辺境の惑星』、ディック『時は流れて』などを皮切りに海外SF叢書《サンリオSF文庫》が、さらに久保書店のSF叢書《SFノベルズ》が創刊されている。また、筒井康隆『バブリング創世記』、荒巻義雄『神聖代』、半村良『虚空王の秘宝I』(いずれも徳間書店)、眉村卓『ぬばたまの……』(講談社)、矢野徹『折り紙宇宙船の伝説』(早川書房)、石川喬司『世界から言葉を引けば』(河出書房新社)、新井素子あたしの中の……』(奇想天外社)山尾悠子『夢の棲む街』(早川書房)と話題作にことかかない年でもあった。

次はP.202からP.203にかけて。

奇想天外から登場した夢枕獏新井素子は、この年(註:1980年)、集英社の少女向け文庫版叢書《集英社文庫コバルトシリーズ》に進出。夢枕獏は四月に初の短編集『ねこひきのオルオラネ』を、新井素子は、七月に初の長編いつか猫になる日までを発表。七〇年代後半より、積極的にSF作品を取り込んできたこの少女向け叢書は、《ソノラマ文庫》とともに八〇年代の新鋭作家たちの活躍の場として機能することとなる。また、八〇年代後半に登場することとなるヤング・アダルト叢書群の先駆けでもあった。

次、P.203からP.204。

八一年。七〇年代後半に始まったSFブームも一時の隆盛を過ぎ、沈静化。五月にはSF宝石が、秋には第二期奇想天外が創刊から五年半、通巻六十七巻をもって休刊となる。その一方で、SFファンの手になるSF情報誌・SFイズムが、また講談社からショートショート専門誌・ショートショートランドが創刊される。また、前年発刊された《フタバ・ノベルズ》に続いて、新書版エンターテインメント叢書《カドカワ・ノベルズ》が創刊されている。〈第七回ハヤカワ・SFコンテスト〉からは、草上仁、冬川正左の、二人の作家が登場。特に草上仁は、その後、短編SFの名手として大活躍することとなる。井上ひさし吉里吉里人』が〈第二回日本SF大賞〉を受賞。
また、話題作に筒井康隆虚人たち』(中央公論社)、半村良『魔境殺神事件』(新潮社)、堀晃『梅田地下オデッセイ』、神林長平『狐と踊れ』、川又千秋『火星人先史』(いずれも早川書房)、評論集『夢の言葉・言葉の夢』(奇想天外社)、新井素子『ひとめあなたに・・・・・』(双葉社石川英輔『亜空間不動産株式会社』(講談社)、谷甲州『惑星CB-8越冬隊』(奇想天外社)がある。

新井素子さんを輩出した第二期奇想天外がこの年休刊した。『ショートショートランド』には創刊号に「チューリップさん物語」を執筆しており*1、その後も体験エッセイ「新井素子未知との遭遇」を連載した*2。『ひとめあなたに・・・・・』*3は創刊間もない《フタバ・ノベルズ》よりの刊行。こうして見ると並み居る作家陣の中に交じって堂々と一線級の活躍である。
次、同じくP.204より。

八二年九月、伝奇バイオレンスの雄、菊地秀行が《ソノラマ文庫》より『魔界都市〈新宿〉』を発表、作家デビュー。同年、同文庫に発表された夢枕獏の『幻獣少年キマイラ』とともにファンの注目を集めた。野性時代栗本薫が《魔界水滸伝》を、笠井潔が《ヴァンパイヤー戦争》を各々開幕。さらに田中芳樹出世作となる《銀河英雄伝説》(徳間書店)、宇宙軍大元帥こと野田昌宏スペース・オペラ《銀河乞食軍団》(早川書房)が開幕。後に自らの手で映画化されることとなる、小松左京の『さよならジュピター』(サンケイ出版)が刊行されたのも、この年のことだ。新雑誌として、幻想文学研究書・季刊幻想文学、SF研究評論誌・SFの本の二冊が創刊。宇宙塵で活躍していた斉藤英一朗が《ソノラマ文庫》に『亜空間潜艦を撃て』を発表、デビュー。『最後の的』(徳間書店)で山田正紀が〈第四回日本SF大賞〉を受賞。
石原藤夫『宇宙船オロモルフ号の冒険』(徳間書店)、新井素子『扉を開けて』CBSソニー出版)村上春樹羊をめぐる冒険』(講談社)といった作品が話題となっている。

幻想文学』では第9号で新井素子インタビューが*4、『SFの本』でも第9号で新井素子特集が組まれた*5
次も同じくP.204より。

八三年。最大のニュースは五七年のデビュー以来、連綿と書き継がれてきた星新一ショートショートが、ついに一〇〇〇編を突破したことだろう。この偉業を記念し、各雑誌に一〇〇一編目の作品が掲載され、話題を呼んだ。また早川書房より新井素子・・・・・絶句大原まり子『機械神アスラ』、岬兄悟『風にブギ』、神林長平『あなたの魂に安らぎあれ』、谷甲州『エリヌス−戒厳令−』といった第三世代の作家たちによる長編SF叢書《新鋭書下しSFノヴェルズ》が、さらに新潮社の《筒井康隆全集》の刊行がスタートしている。双葉社より、コラム&ショートショート誌・SFワールドが登場。その一方、七〇年代後半から八〇年代初頭にかけて、中巻小説誌の誌面を賑わせてきた日本SF作品がほとんど姿を消すという状況を迎える。〈第九回ハヤカワ・SFコンテスト〉からは、「惑星〈ジェネシス〉」で努力賞を受賞した橋元淳一郎が登場。八〇年代SFコミックの収穫と言われた『童夢』(双葉社)で大友克洋が〈第四回日本SF大賞〉を受賞している。

・・・・・絶句*6のタイトルが先頭に書いてあるが、出版されたのは一番後である。しかも予定より遅れての刊行であった。『SFワールド』では創刊号で新井素子特集が組まれ*7、エッセイ「夢日記」を連載した。
次はいきなり跳んでP.207。

九二年。一月長らく日本SFの牙城となってきたSFアドベンチャーが三月号をもって休刊、秋より季刊化が決定。続いて三月、獅子王が五月号をもって休刊。日本SFを支えてきた専門誌の相次ぐ休刊は、日本SFが置かれた厳しい状況を表していた。続いて八月には、ファンタジイ・ブームの牽引役を果たしてきた大陸書房が倒産。SFマガジン増刊号として刊行されていたヤング・アダルト小説誌・小説ハヤカワHi! が主催した〈ハィ! ノベル大賞〉を牧野修「王の眠る丘」が受賞。〈奇想天外新人賞〉受賞後、沈黙していた牧野修はこれを機に創作活動を再開する。〈第十三回日本SF大賞〉は、筒井康隆朝のガスパール』(朝日新聞社)が受賞。
この年の話題作には、新井素子『おしまいの日』半村良寒河江伝説』(遊楽出版社)、神林長平『猶予の月』(早川書房)がある。

久しぶりに名前が出てきたのは嬉しいが『おしまいの日』はSFではなくホラー小説である。もっともSF作家が書いたものはみなSFだ、という見方も存在する。話題になったのは確かだが。他に取り上げたくなるSF作品が無かったのかも知れない。
エッセイ中の新井素子さん登場箇所は以上である。SFブームの流れとともにデビューし、その隆盛に一役買っていた姿が窺えるとともに、ヤング・アダルト分野とのクロス・オーバー、SF以外のジャンルでの話題作の発表と、その軌跡が浮き彫りになるのは興味深い。

SFマガジン年表 PART・2〈201号〜500号〉

S-Fマガジン』誌の歴史を上段に、SF界の出来事を下段に分け、まとめた年表。この中にも新井素子さんの名前が登場してくる。
P.612の下段、1978年2月の出来事。

第一回奇想天外SF新人賞
入選 該当作なし
佳作 新井素子あたしの中の……
   大和眞也「カッチン」
   藤原金象「ぼくの思い出がほんとうなら」
   美作知男「ローレライの星」
   山本弘「スタンピード!」

これが実際は1977年の年末だったのは前章で見た通り。
次、P.616の上段、1981年1月号*8

ブリッシュ「ビープ」/プリースト「青ざめた逍遙」
火浦功「瘤辨慶二〇〇一」/新井素子ネプチューンでともに初登場

正真正銘、これが新井素子さんの『S-Fマガジン』初登場である。
次、P.617からP.618の下段、1981年8月の出来事。

第二十回日本SF大会DAICON III」開催(大阪、森の宮ピロティホール)
第十二回星雲賞
 日本長編 川又千秋「火星人先史」
 海外長編 ホーガン「星を継ぐもの」
 日本短編 新井素子グリーン・レクイエム
 海外短編 ニーヴン「帝国の遺物」
 映画・演劇 「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」
 コミック 水樹和佳「伝説」
 アート 安彦良和

「帝国の逆襲」はエピソード5ですな。24年後にエピソード3を上映しているなんて当時は考えもしなかった。
次、P.619の下段、1982年8月の出来事。

第二十一回日本SF大会「TOCON VIII」開催(東京、都市センターホール)
第十三回星雲賞
 日本長編 井上ひさし吉里吉里人」
 海外長編 ホーガン「創世記機械」」
 日本短編 新井素子ネプチューン
 海外短編 ディッシュ「いさましいちびのトースター」
 コミック 大友克洋気分はもう戦争
 アート 長岡秀星
 メディア 該当作なし
 特別賞 「宇宙塵
 大会メディア 「DAICON IIIオープニング・アニメ」

星雲賞日本短編部門を二年連続で受賞。
最後、P.622から623の上段、1985年2月号*9

創刊二十五周年記念特大号
ベイリー「王様の家来がみんな寄っても」/ティプトリー「ビームしておくれ、ふるさとへ」
新井素子〈正しいぬいぐるみさんとのつき合い方〉連載開始(〜同年七月号)

実際の連載は2月号から5月号までで、七月号には番外編が掲載されている*10
年表に名前が登場したのは以上である。あまり多くはない。長編型の創作スタイルなので『S-Fマガジン』に登場しにくい、ということは理由としてあるかも知れない。これから将来的に連載という話は出てこないものだろうか?