新井素子関連文献その1。

星から来た船(中)』P.194に「旧約聖書」の「出エジプト記」が引用されている。

「……あなたは彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるために、次のことを彼らにしなければならない。すなわち」
(中略)
「若い雄牛一頭と、きずのない雄羊二頭とを取り、また種入れぬパンと、油を混ぜた種入れぬ菓子と、油を塗った種入れぬせんべいとを取りなさい」

一般に普及している新共同訳かと思ってネットで調べてみた*1が、訳が違う。どこ、または誰が訳出したものだろうか。これの出典を知りたいが、今まで訳出された聖書の中から何の手がかりもなく見つけ出すことはほぼ不可能だ。

*1:自前の新共同訳聖書が例によって部屋の中で行方不明である。

新井素子関連文献その2。

星から来た船(中)』P.197に「般若心経」が引用されている。

「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空……」
 今度は真樹子さんに教えてもらわなくても判る。これ……般若心経だ。
(中略)
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆詞 般若心経」

1992年5月10日発行の第1刷からの抜き書きだが、「般若波羅密」の「密」は誤りで正しくは「蜜」である*1。もうひとつ、「薩婆詞」は「薩婆訶」が正しい*2。字の形が似ているから間違えたのかもしれない。岩波文庫版(玄奘三蔵訳)などでは読みやすくするために句読点で経文を区切っているが、この文にはない。最後の部分が「般若波羅蜜多心経」でなく「般若心経」なのは俗っぽい*3新井素子さんが引用した原典は何だろうか。これも謎である。

*1:大学の入試で同じ間違いをしたのはわたしです。東洋大学文学部の日本史の問題で、答えの「六波羅蜜寺」を「六波羅密寺」と書き間違えたのである。印度哲学科を受けてるのにこれはねーよなーと落ち込んだのを強烈に覚えている。受かったからいいんだけどさ。

*2:岩波文庫玄奘三蔵訳)の読み下し文では「掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」の字が当てられている。

*3:単にタイトルが後ろに書いてあるだけではないのはサンスクリット語の原文と付き合わせれば判る。略せばいいってもんでもない。

新井素子関連文献その3。

星から来た船(中)』P.198で亮子さんがマントラを唱えている。

「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま」
 亮子さん、今度は真言をとなえはじめる。(後略)

俺はこれを知らなかったのだが、検索してみると「光明真言」という有名な真言の一節らしい。

「べいろしゃのう」てのは「ヴァイローシャナ」=「毘蘆遮那仏」=「大日如来」のことか。

新井素子関連文献その4。

ついでに歌を一首挙げておこう。『星から来た船(中)』P.81より、水沢所長と山崎太一郎の会話。

「何だよ。……俺、別に水沢さん、あんたのことを頼りにしてるだなんて、これっぽっちも言ってないぜ」
「色にでにけりってな。今日来るとは思っていなかった俺のことを、わざわざおまえ、ゲートの処にはりついて、ずっと待っててくれた訳だ。これで、”待たれていない”って思う奴は、なかなかいねえんじゃねえか?」

「色にでにけり」で思い出すのは平兼盛の歌だ。

忍ぶれど色に出でにけり我が恋は 物や思ふと人の問ふまで

通りすがりのレイディ』に出てきた「いかに久しきものとかは知る」の歌と同じく百人一首に収められている。歌では「でにけり」でなく「いでにけり」なのが違う所である。