『ライトノベル☆めった斬り!』新井素子登場箇所チェック。

1)「はじめに――本書使用上の注意」

大森望による前書き。P.4より。

一九六一年生まれの大森は、子供のころからライトノベル的なものをふつうに読んで育ってきた。国内外のSFジュブナイル群、ポプラ社の《ルパン》や《ホームズ》もの、小林信彦の《オヨヨ》や辻真先のミステリ……。中学生自分からのSFマニアなので、ソノラマから高千穂遙夢枕獏が、コバルトから新井素子が出れば追いかけて読むのは当然だったし、大人になってからもそれは変わらない。

2)「1969年〜1980年 ライトノベル年表」

P.26

1977年の冒頭に太字で下記の記述あり。

新井素子「あたしの中の…」(奇想天外新人賞受賞)

P.27

1980年の「コバルト文庫」の項に下記の記述あり。

いつか猫になる日まで新井素子/長尾治

3)「PART1 ライトノベル前史」

P.56

章のタイトルが「新井素子氷室冴子橋本治の一九七七年」。

三村 出自分類で行くと(ライトノベルの作家の典型からは)除外されるね。少女小説は、氷室冴子が新人賞から出て変わり始めるでしょ。同じ年に新井素子も一六歳でデビューしてるんだけど……。
大森 第一回奇想天外新人賞。しかしそんなに出自にこだわるわけ?

*デビューを『奇想天外』1978年2月号に「あたしの中の……」が掲載された時とするなら、1960年生まれの新井素子さんはその時既に17歳である。

P.57

大森 新井素子だって、ライトノベルめざしていたわけじゃ全然なくて、SFを書いてSFの新人賞に応募したんだよね。ところが高校生の書いた文体がすごくクローズアップされて、結果的には後のライトノベルにすごく影響を与えてる。あの口語文体がね。しかも、新井素子はデビュー当時、一番影響を受けた作家は平井和正だって言ってるから、ほら、『超革中』からずっとつながってるじゃん(笑)。
三村 あの文体のどこがつながってるんだよ(笑)。それに、平井和正って言っても《ウルフガイ》でしょ。新井素子は《ルパン三世》みたいな小説が書きたかったと言ってるじゃない。ただね、今はもうわからないことってあって。新井素子のあの文体が当時の女の子のふつうの文体だったかどうか、さっぱり思い出せない(笑)。

*「一人称」文体はモロに「ウルフガイ」(アダルトの方)だと思う。文体というか小説の構成(物語の途中で一人称の語り手が自己紹介すること等)については平井和正からの影響があったのはこの日記でも取り上げた。またデビュー初期には物語もまだ「人類ダメ小説」の影響下にあったことを新井素子さんは語っておられる。文体面では他に小林信彦の多大な影響を受けているのは、やはりこの日記で取り上げた。ただし、文体については更に検証が必要であると感じている。
ルパン三世》みたいな小説と例える内容は、ここでも大塚英志の著書でも明確に規定されている訳でなく曖昧である。

P.58-59

三村 女の子の日記はああだったんじゃないの? 女の子の世界は〈詩とメルヘン〉に毒されてたような気がするから。みんな頭の中、やなせたかしだったに違いない(笑)。リリカルなモノローグ文体はあったと思うの。でも新井素子はもっと饒舌だし、その流れでは出てきてないだろうって気はするんだけどね。まあ、とにかく女の子の日記文体そのままだろうとなかろうとそれが文芸の世界に登場したということが重要。
大森 だから新井素子な文体や同世代感覚と、《クラッシャージョウ》的な設定とがドッキングすると、ほぼ今のライトノベルになる。もっとも僕は、デビュー当時の新井素子に対してそういう印象は全然なかったけどね。若いSF作家だと思ってたから。ライトノベル化したとしたら、コバルトで星へ行く船を書いた辺りからかな。
三村 そう。文体的にはまったく変わってないけど、あれはキャラが立ってるからね。そういう意味でも特殊かな。でも星へ行く船は学習誌連載だからシリーズ化を目指したわけではない。
大森 いちばんライトノベル感覚で読めたのは通りすがりのレイディ。あれは傑作だと思った。
三村 表紙は竹宮恵子だし。キャラクターの作り方とかテンポとかも含めてね。
大森 しかし、星へ行く船は一九八一年だから、かなりあと。
三村 いつか猫になる日までが一九八〇年で、これは書き下ろしだったと思う。
新井さんがどっかで書いたけど、奇想天外社が潰れた後、作品を発表する媒体がないところに救いの手をさしのべたのがコバルトだったと。当時SF界からからデビューした若手にコバルトがどんどん声をかけて、夢枕獏の『ねこひきのオルオラネ』とか、山尾悠子の『オットーと魔術師』が出てる。どっちも傑作。

*うーむ。「ライトノベル感覚」というのはよく判らない。
*「奇想天外社が潰れた後〜コバルトだったと。」は『まるまる新井素子』に収録されている談話「読者の手紙――ひっぱたいてかみついて」にある。P.151より引用してみる。

あと、コバルトは女の子向けなので買いにくい、とかコバルトで書くのはやめて下さい、とかいうふうな手紙がくると、あたしは怒るの。
何を言ってるんだー、全然売れてなかった時にコバルトが拾ってくんなかったら、どこも拾ってくんなかったんだぞーっつって。
コバルトで『いつ猫』書かしてもらわなかったら、そもそも今こんな注文くるわけない、と思うんですよね。
だからそういう、コバルトは買いにくいとか、いい加減少女ものを書くのはやめなさいっていう手紙がくるたびに、これを書かんかったら、あたしには注文がこなかったんじゃーっつって怒るのです。手紙に対して。
コバルトだけ読んでて他に全然知らない人が、「あたしの中の……」読んで、そのあとでSFなんか読んでくれると嬉しいな。

他にも「原稿料も踏み倒されて途方に暮れていた時に云々」とかいう内容のエッセイだかなんだかがあった気がする。思い出せない。
【1月10日追記】
「原稿料も踏み倒されて途方に暮れていた時に云々」の件について、id:takahashim氏より教えて頂きました。ありがとうございました。
『チグリスとユーフラテス』の単行本版あとがきP.492より。

直接お仕事をしたことこそあまりないんですが、山田さんって、私が非常にお世話になった方なんです。最初の本を出してすぐ連絡をくれた編集の方で、私のお話をかってくれ――とはいえ、当時の私はまだ高校生、さすがに集英社文芸編集部で本は出せないからって、コバルト文庫の編集長を紹介してくださったのが山田さん。でもって、処女作を出した出版社がつぶれて、原稿料も印税も踏み倒された私が、何とか喰っていけたのは、偏にコバルト文庫でのお仕事があったからなんです。その上、コバルト文庫のおかげで、SFファン以外の読者を獲得することもできたし。

『チグリスとユーフラテス』の単行本出版時に、大森望×新井素子の対談が『青春と読書』1999年2月号で行われた。当然上記の記述を大森望は知っていた筈である。

P.59

大森 その頃のコバルトからは若桜木虔の『ヤマト』も出てますが。
三村 劇場版公開あわせだね。一九七七年は、高千穂遙新井素子氷室冴子、それに橋本治がデビューしてるんだよ。源流と言えば源流。

P.60-61

P.58の「学習誌掲載」についての脚注がある。

P.68-69

「”萌え”の発生と吾妻ひでお」の章。

大森 あ、でも、こないだササキバラ・ゴウの本読んで驚いたのは、当時、”新井素子萌え”があったと(笑)。
三村 新井素子自体に萌えるわけ?
大森 そうそう。
三村 それはでも、吾妻ひでおが描く素ちゃんに萌えるんじゃないの?
大森 まあねえ、本人に会っちゃったら萌えも何もないと思うけど(笑)。
三村 でも、大原まり子にはちょっと萌えた。
大森 そういう派閥もあったね。〈SFの本〉周辺とか。そうか、〈SFイズム〉が素子ちゃん萌えで、〈SFの本〉はまり子ちゃん萌えだったんだ。
三村 ほんとかよ。
大森 でも、同じ女子高生デビューでも、りさたん萌えみたいなことはなかったよね。あったのかなあ。
三村 あったのかも。新井素子=神様みたいな子たちもいたよ。いたわりには不思議なんだけど、そういう人たちはSF大会で女の子を捕まえると「新井さんですか?」って聞くんだよね(笑)。
大森 うちの妻もよく間違えられてたらしい。
三村 SFファンの女は、みんな一度は新井素子と間違えられてる(笑)。
大森 眼鏡をかけて丸顔の若い子なら、みんな新井素子(笑)。

*「新井素子萌え」の一例は『新井素子100%』に掲載されたとり・みきの漫画「ニッポン新井素子時代」で参照することができる。デビュー直後の新井素子さんに会うってんで生やしていたひげをわざわざ剃ってしまった男の姿がそこにはあった。奇想天外社版『あたしの中の……』に掲載されていたソフトフォーカスのかかった新井素子さんの著者近影は当時のSFの男の人たちに鮮烈な印象をもたらしたようである。
*大学SF研の同期に大原まり子好きを公言している男が一人いた。「大原まり子と結婚したい」と本気で言っていた。ニュースステーション月曜日の島津製作所のCMに大原まり子が登場していた時代の話である。
*そう言えば、『SFイズム』増刊の『まるまる新井素子』、『わくわく谷山浩子』、『まるまる大原まり子』の3冊の内、表紙に本人の写真がないのは新井素子さんだけである。ただし、同じく別冊の『SPECIAL MAKE-UP EFFECTS』では新井素子さんを特殊メイクで(一部を除いて)華麗に変身させるという企画を掲載していた。
SF大会には一度も参加したことがないので、実際に新井素子さんを巡ってそういうことがあったのかどうかは定かではない。初めて聞いた話なのだが、なかなか凄いというか恐ろしい状況である。

4)「1981年〜1988年 ライトノベル年表」

P.80

1981年の「コバルト文庫」の項に下記の記述あり。

星へ行く船新井素子竹宮恵子

5)「PART2 ライトノベルのあけぼの」

P.82-83

コバルト文庫の変化」の章。

三村 《クラジョウ》から三年たってるからね。たしかに《クラジョウ》がまだジュブナイルっぽさを残しているのに比べて、《ダーティペア》は発表媒体がSFマガジンだったということもあって、成長とか良識とか関係なくやりたい放題で、そういう部分もライトノベルっぽい。女の子の一人称で「あたし」だし。そういえば、その対談の中で、あれは宇能鴻一郎文体だって言ってるんだけど。
大森 新井素子のときも同じことを言う人がいた。
三村 そう。でも、新井素子本人はそんなこと言ってないでしょ。当時、なにバカなこと言ってるんだろうって思ってたけど、高千穂遙は本人が宇能鴻一郎に言及してて、ものすごく驚いた。だとすれば新井素子の「あたし」と高千穂遙の「あたし」は、別物かなって。
大森 高千穂さんだからなあ。新井素子の影響とは言いたくないだけかも(笑)。まあ、宇能鴻一郎文体にものすごく感染力と影響力があったのはたしかだよね。伊藤(典夫)さんも〈面白半分〉かなんかで宇能文体のパロディ翻訳やってたんじゃなかったっけ。でも《ダーティペア》は「ですます」調じゃないから、宇能鴻一郎度は低いよ。こないだひさびさに出た《ダーティペア》本編の新作はぶっ飛んでて面白かったな。

新井素子さんが宇能鴻一郎に言及した菊地秀行との対談が『IN★POCKET』誌に掲載されたことがあるらしいのだが、未確認である。
【2006年3月3日追記】
言及があるのではないかと思われた『IN★POCKET』1988年8月号の対談を読んだが、一切なかった。参考にしたサイトの管理者さんの勘違いであったらしい。

P.84-85

大森 まあ、ソノラマも徳間も天下をとってないから、それでうまくいったかどうかはわからないんだけどさ。
一方、コバルトはというと、八〇年代に入っても最初の内はそう大きい変化はないかな。大和眞也のデビューも新井素子の流れだし。氷室冴子久美沙織田中雅美、久保田僚、正本ノン。このへんが主力だった時代ですね。でも、このへんも少女小説だもんね。しかし中岡恭平とか書いてたんだ。すごいな。

*「久保田僚」は誤植で「窪田僚」が正しい。巻末の作家一覧では「窪田僚」となっている。

P.85-86

三村 シリーズものが始まって。コバルトは意外と長大なシリーズものを出し始めるのが遅い。八〇年代初めの変化と言えば、やっぱり新井素子の影響じゃない? 新井素子がコバルトに行ったのは、コバルトにSFが入ったというのも当然あるけど、一部のSFの読者がコバルトについていったというのもある。
大森 それはでも、全体の読者数からしたら少ないでしょ。むしろ、女子中高生の間でもSFが意外とすんなり受容されましたと。たぶん男性のSFファンは、新井素子のおかげでコバルトの存在を初めて知った人が多かったと思うけど、それは全体の部数から言うと大したことはない。
三村 まあそうだろうな。新井素子のブレイクはすごいもんね。新井素子はコバルトが出てすぐ、読書世論調査に挙がってきちゃう。まあでも、コバルト自体がこのへんで変わるよね、色が。ひとつは、氷室冴子とかが出てくることによって、小説の感じが今の小説っぽく変わってくる。さらに、新井素子とか片桐里香とかの登場で、ジャンル小説的なものがだーっと入ってくる。コバルト的には一時期それが消えて、ちょっとお姉さんぽい感じの学園ラブコメの流れになっていく。でもちょっと不思議なのは、氷室冴子の『少女小説家は死なない!』。せせこましい日本人にはファンタジーなんてわからないのよと愚痴ってる作家の話だけど実際そのころにコバルトはいくつか(SFやミステリを)出してる。少女小説には、SFだめ、ファンタジーだめ、ホラーだめみたいな縛りがあると言われてたけど、それとも新井素子治外法権だから許されたのかっていう……そこがよくわからない。

*個人的な体験としては「集英社文庫コバルトシリーズ」のことを知ったのはSFファンになる前だった。SFというジャンルに分類される小説が好きだという自覚は既に芽生えていたがジャンルについての知識は皆無だった。そんな時、新井素子さんの著作のあとがきを読んで『S-Fマガジン』のことを知り、そこから本格的にSFを読むようになったのだった。13〜14歳くらいの時の話である。

P.87

「SF作家の浸透と拡散」の章。

大森 SFとのからみで言うと、八〇年代初めは、ハヤカワ文庫JAが若手作家中心にシフトしていく。ひとつには例の徳間・ハヤカワ裁判の影響で、第一世代のSF作家たちが早川から離れちゃって、第三世代と言われる若手作家たちががんがん書くようになった。《新鋭書き下ろしSFノヴェルズ》組だと新井素子大原まり子谷甲州岬兄悟水見稜。あと夢枕獏火浦功とか。

*《新鋭書き下ろしSFノヴェルズ》で新井素子さんが発表したのが『・・・・・絶句』上下巻。しかし発売予定から随分遅れたような覚えが。この叢書で先陣を切って発売されたのは上記に名前が登場していない神林長平の『あなたの魂に安らぎあれ』だった。夢枕獏は『上弦の月を喰べる獅子』(最初は『螺旋経典』『異国の魔法』というタイトルだった)を上梓する予定だったが結局この時は完成ならず。後に『S-Fマガジン』での連載を経て早川書房から単独の単行本を発売した。森下一仁の『闇にひしめく天使たち』は未だ発売されておらず、実はこの叢書は完結していない。
発売予定はたしかこんな順番だった。

  1. 『エリヌス−戒厳令−』谷甲州
  2. 『あなたの魂に安らぎあれ』神林長平
  3. 夢魔のふる夜』水見稜
  4. 『風にブギ』岬兄悟
  5. 『機械神アスラ』大原まり子
  6. 『闇にひしめく天使たち』森下一仁(発売されず)
  7. 上弦の月を喰べる獅子』夢枕獏(発売されず→後に『S-Fマガジン』で連載)
  8. ・・・・・絶句新井素子
P.91

笹本祐一登場」の章。

大森 好きなものを好きなように書いたらそうなったと。
三村 新井素子もそうだったと言えばそうなんだけど(笑)。高千穂遙は違うんじゃないかと疑っているんだけど……。
大森 聞いても教えてくれないんだよね。「ライトノベルと名のつく本には協力しないことにしているから」って(笑)。

6)「ライトノベル・ブックガイド1980」

P.122

ダーティペア』(高千穂遙)の項。執筆者は三村美衣

自己紹介つき、あたし語りの一人称は、(すでに新井素子がデビューしていたとは言え)当時のSFマガジン史上では衝撃だった。

P.123

新井素子さんの『星へ行く船』の項あり。執筆者は三村美衣
紹介の末尾に「お宅」という二人称の考察あり。

余談だが、”おたく”についての論考を読むと新井素子がエッセイで「お宅」という呼称を使ったのが「お宅」という語法の元祖だとか、本書で太一郎があゆみのことを「おたく」と呼びかけるのがSFファンに伝染したという説があるが、「オタク」なんて《ウルフガイ》でも使われていたし、もっと遡れば六〇年代に女の子の間で一世を風靡したお茶目なスパイ・ドラマ《ナポレオン・ソロ》でも主人公同士がそう呼びあっていた。それほど特別な言葉ではなかったと思うのだが、違うんだろうか。

特別な言葉ではない、というのは感覚的には同意。普通に使う言葉だったと思う。

新井素子がエッセイで「お宅」という呼称を使ったのが「お宅」という語法の元祖

これは大塚英志「おたく」の精神史』の記述を誰かが曲解しているんじゃないだろうか。少なくとも大塚は新井素子が「元祖」だとは断定していない。「元祖」と言っている例を俺は知らないのだが、誰が言っているのだろうか。

7)「ライトノベル・ブックガイド1989」

P.141

『ゆらぎの森のシエラ』(菅浩江)の項。執筆者は三村美衣

菅浩江は、高校生時代にSF専門誌〈SF宝石〉から短編でデビューし、新井素子の後継として注目を集めた。その後長らく沈黙していたが、本書で再デビューを果たした。

8)「PART3 ライトノベルの確立」

「架空歴史物」の章。P.166。

大森 結局また、異世界往還型の……。
三村 往還はないよ、ほとんど。
大森 じゃなくて、最近売れてる異世界ファンタジーは往還型でしょ。《*1》とか、《A君》とか。昔で言うと、新井素子『扉を開けて』タイプ。

9)「ライトノベル・ブックガイド1994」

タイム・リープ あしたはきのう』(高畑京一郎)の項。P.183。

なお、一九九七年には佐藤愛子主演で映画化(『TIME LEAP』)。監修は大林宣彦、監督はグリーン・レクイエムを映画化した今関あきよし

10)「本書登場のライトノベル作家一覧」

P.271に新井素子の項あり。

11)「おわりに」

三村美衣による後書き。P.258の本文の冒頭部より。

えっと、あとがきです。

わざわざ註を付ける必要もないほどその筋では有名な新井素子さんのあとがきの冒頭の言葉である。わざとだと思われる。
ちなみに、P.260の本文の結びより。

この本は絶対におもしろい。

わざわざ註を付ける必要もないほどその筋では有名な夢枕獏のあとがきの結びの言葉*2である。わざとだと思われる。

*1:○にマ。どの作品を指すのか判らない。

*2:キマイラ・吼」の第1巻『幻獣少年キマイラ』あとがきにはまさにこの文章が書いてある。しかし「この本は絶対おもしろい」(『魔獣狩り』第1巻)、「この物語は絶対におもしろい」(『魔獣狩り』第2巻)など細部の違うバージョンも存在している。