藤田俊哉の名古屋グランパスエイト移籍が決定。

皆様には今回の移籍問題で、大変ご心配をお掛けしましたが、今日新らしい挑戦をすることを決断しました。 いつも温かく応援してもらっている多くのサポーターの皆様のことを考えると、この挑戦をするべきなのか、非常に 悩みましたが、チームの今後と自分の将来を考えると、今、決断しなくてはならないと思いました。ジュビロ磐田での 12年間のご声援、本当にありがとうございました。皆様には感謝の気持ちで一杯です。

お別れの言葉だ。藤田が日記に書いた移籍への熱い思いを読んだ時、この日の来るのは避けられないだろうことを予期し、覚悟は決めていたつもりだった。しかしそれでもこの喪失感はどうしようもない。
ジュビロ磐田JFLからJリーグへと昇格した初年度から約12年。俺はその内の半分しかスタジアムでの藤田俊哉を知らない。思い出すのは1999年5月5日、国立競技場での対鹿島アントラーズ戦だ。両者が一歩も譲らない死闘に延長Vゴールで終止符を打ったのが藤田だった。それまでは地元に近いからという理由でなんとなくジュビロ磐田の存在を気にかけるだけだった俺が、この試合でサッカーの面白さに参ってしまいジュビロ磐田ファンになることを決めたのである。その時だけでなく、藤田の痛快なプレイには幾度となく胸を躍らせ、歓声を上げたものだ。今年は個人的事情によりヤマハスタジアムでの生観戦が叶わず、サックスブルーのユニフォームを着た藤田俊哉をスタジアムで見ることができなかった。藤田の心を磐田につなぎ止めるためのトシヤコールもできないまま、お別れとなってしまった。それは少し心残りである。
清水エスパルスからセレッソ大阪に移籍した堀池巧が最後は清水で引退したように、藤田もまた磐田に戻ってくることはないものだろうか。例えそれが引退後だったとしても、またいつか磐田でトシヤと歓喜を共にできる日が来ることを、今は願わずにはいられない。
今までありがとう。