京極夏彦『姑獲鳥の夏』。

読了。ずっと前にブックオフで買った本。買った動機は『素子の読書あらかると』で取り上げられていたから。たまたま実相寺昭雄監督作品の映画が公開中ということでそれを見る前に原作を読んでおこうと思った次第。実相寺は好きな映画監督ではあるが何しろ映像美が先に立つ人だから物語を観客に伝える努力を放棄している(ように見える)傾向が強い。読まずに見たら話の筋が判らんかもしれんからね。
で、読んでみたらなかなか面白かった。昔の探偵小説の雰囲気をよく表現した会話文も一見取っつきにくそうでいて読んでいて気持ちが良かったし。しかしこのトリックは、これはミステリファンは怒ったりしなかったのだろうか。それ程いい加減と言えばいい加減なような気もする。俺はミステリを読まない人なので、あまりトリックの妙というものに拘りはない。『百億の昼と千億の夜』(漫画版)に出てきた阿修羅王の台詞、

認識というのは意識の情報処理の一つの結果に過ぎない

を思い出しながら、さもあろうと納得したのであるが。
ちなみに新井素子さんは『読書あらかると』の中でこのように書いている。

これまた、やたら分厚い本で……読んでいる最中「ちょっと待てい」って叫ぶこと数回、なのに、読後感は、「面白かった」。しかし……人によっては、途中でどうしてもついてゆけなくなるか、何とか読みおえた時、本をぶんなげそうな気もする。

つっこみ処が多々あるというのは確かにそうかも知れない。それも味わいの一つではある。