花井愛子『ときめきイチゴ時代』。

確か昨年の10月ぐらいに出た本。nakaさんの処で紹介されていたので読んでみた。〈ティーンズハートの1987-1997〉とサブタイトルが付いており、講談社X文庫ティーンズハートの立ち上げから、中核を担う人気作家として活躍した時代の裏話や自らの創作姿勢などが語られている。
久美沙織が一昨年『コバルト風雲録』という、集英社文庫コバルトシリーズ集英社コバルト文庫)に関わっていた時代の自分史を出版したが、強引な言い方をすればそのティーンズハート版である。ただ書かれている内容の趣は少し違う。あちらが一人の職人的技能者が業界でのし上がる様を描いた「細腕繁盛記」だとすれば、こちらはある企業の新規プロジェクトに参加した社外企画担当者の視点から、無理解な周囲との軋轢や幾多の苦難を乗り越えいかに仕事に取り組んだかというストーリーと、その後の著者に関する顛末を描いた「プロジェクトX」風のノリが感じられる。
X文庫のティーンズハートから出ている小説は一冊も読んだことがなかったので*1、時代背景や出版された小説群を全く知らない点では個人的な印象として臨場感には欠けたが、興味深いことはいろいろと書いてあって読んでよかったのである。
新井素子さんの名前も登場してくる。「スタートのこと。/たのしい幼稚園少女フレンド・コバルト・オリーブ」の章、P.52より。

ライバル、というか、目標は”老舗”のトップブランド、コバルト文庫だ。あの頃、敵なし状態だったコバルト文庫である。それはもう、伝統の力だ。毎月、キラ星のように、魅力的な作品が数多く並ぶ。久美沙織新井素子氷室冴子など*2、スター作家も大勢だ。新人だって、続々出てきている。
不意にヘロヘロと登場したティーンズハートの、ハンパで地味な新刊展開じゃあ、とても太刀打ちできっこない。

ティーンズハートが創刊した1987年に、新井素子さんはコバルト文庫から「星へ行く船」シリーズの最終巻『そして、星へ行く船』を出版している。その名声未だ衰えず、という時期だったと思われ、ここでスター扱いされているのに不思議はない*3
他に、その文体がどのように作られたのかという話は面白かった。同じく「スタートのこと。/たのしい幼稚園少女フレンド・コバルト・オリーブ」の章、P.65より。文体をしゃべり言葉に近づけようとわざと日本語の文法から外れた表現をしているのに、講談社校閲部がいちいちチェックを入れてくることに対して。

校閲セクションに、大抗議した。
国文法には明るいほうであること、その上での意図的な変則表現であること。なぜマンガならOKでティーンズハートだとNGなのか!? ティーンズハートは”ブンガク作品”ではない――、他の作家さんは、どう考えてらっしゃるのかわからないけれど、私は「マンガと同じ感覚で読んでほしい活字のエンタテインメント」と思っている。マンガに近い文字表記は、マンガで育った新しい活字読者を文庫に獲得するために不可欠。などなどなど。理詰めの長いレターを書いて、校閲に提出した。

この後もやはりチェックが入るので、チェックをくぐり抜けて変則表現を続けるためのテクニックを研いた結果、文章の変則度合いがエスカレートした、とも書いてある。新井素子さんがこれに類することを言っていた記憶はない。奇想天外社はまだしも、コバルト文庫から本を出す時など似たような遣り取りがあったのかどうか興味が湧く。また、講談社校閲部と言えば、新井素子さんの御母堂が長く勤務していらした部署である。その立場を思えば、自分の娘が書く小説の文章にどのような感慨を抱いていたのかを伺ってみたくなる。
「ティーンズハート文体」にこのような認識を示していた著者が具体的にどのような変則文体を作ったのかについての記述もある。「工夫のこと。/名作文学・マンガ雑誌・官能小説・文庫」の章、P.77より。

週刊少女フレンド副編集長O氏のアドバイスが、ピシリと私に効いていた。
「少女マンガのネームのセリフは、タテ15文字以内、ヨコ5行程度!」
しかも、そのセリフが、マンガの見開き2ページで、10個ぐらいしかないのが、当時の”イマドキ”の少女マンガだった。
マンガのページをめくるのと、ほぼ同じスピードで読める活字の本にする!
それには、なにより文章量を減らさなければならない。

マンガをライバル視したというのは新井素子さんも語っていたエピソードであるが、端的に量を減らすことを決めてしまう処は大きな違いである。
P.78より。

「てゆか」
「みたいな?」
「ちょーヤバ」
10代少女たちは、短いコトバを弾丸のように口元ではじけさせる。
それを、できるだけ「まんま」書いたら「ページの下が、まっ白」になった。

読者の感情移入を誘うには「ふだんの。自分たちのコトバ」が必要だとして、年若い少女マンガ家の友人たち(10代後半〜20歳くらい)から直に若者言葉を仕入れていたことが語られている。
P.79より。

会話ではない地の文も、主語と述語の距離を、極力近づける。
”あたし、あなたの言っていることが、どうしたって理解できないんだよ”
ではなくて。
”あたし、理解できない。どうしたって。言ってることだよ、あなたの!”
てなふうに置きかえてみる。

で、こんな工夫をしている時にふと気づけば、

主語と述語のみの短文。会話多用。改行バリバリ。擬音擬態語たっぷり。
――これって……。
宇能鴻一郎センセイの、官能小説じゃんっ!!

という境地に辿り着いてしまったのである。これは新井素子さんに対しても指摘された点で、ご本人も菊地秀行との対談の中で自覚していることを示唆しているらしい*4。テキストを付き合わせて検証していないので果たして本当にそうなのか、イメージだけの問題ではないのか、ということは確認していない。宇能鴻一郎の告白文体を検証しなければ、というのは前からの課題である。未だ読んでいない。ちと手に余っている。
以上のようになかなか参考になる本ではあった。

*1:講談社X文庫から出版された本では、菊地秀行OVAをノベライズした『幻夢戦記レダ』と、特撮関係(『メーキング・オブ・東映ヒーロー』全3巻、『メーキング・オブ・円谷ヒーロー』全2巻)は持っていた。『レダ』以外はまだ部屋の中にある筈。

*2:原文の「新井素子」と「氷室冴子」にはそれぞれ「あらいもとこ」と「ひむろさえこ」とルビが付いている。

*3:そして、星へ行く船』が刊行された後のこの年7月に、『ファンロード』誌で長期に渡って掲載されていた新井素子さん専用コーナー「素子姫の部屋」が終了したのに時代を感じる。

*4:2006/06/27追記:このような事実はなかった。→id:akapon:20060303