吉本たいまつ『おたくの起源』。

現在のおたく文化を決定づける「おたくジャンル」は、どのように成立したのか。SF,同人誌即売会、投稿雑誌の成長から、おたく文化の根元と成立を探る。

と帯に書かれている。自店の棚で見つけたので新井素子さんの話題が取り上げられているかと思って読んでみた。ちと期待外れだったが、三箇所に名前が出て来るので抜き書きしてみる。
最初はP.44、「第一章 母体としてのSF」の「SFメディアの急速な増加」の項より。

この少し前から、SFの商業出版が急速に成長していく。SFの浸透と拡散がはっきりした結果、SFは大衆に対しても売れるコンテンツとして認識されていくのである。一九七六年には『奇想天外』(奇想天外社、第二期)が復刊され、新井素子らを輩出する。奇想天外社は、『別冊奇想天外』や『マンガ奇想天外』を出版するなど、活字SF以外のコンテンツも取り上げていた。スター・ウォーズの公開を機に、一九七八年七月に海外SF映画、特撮作品の情報をグラビアで紹介する雑誌『スターログ』(ツルモトルーム)が創刊され、ビジュアル要素を持ったSF作品、海外の特撮作品が盛んに紹介される。またファンシーグッズの製作で成長し、ファンタジーアニメ映画にも進出していたサンリオは、一九七八年七月に「サンリオSF文庫」を創刊する。それまで翻訳されてこなかったマイナーな作品や、ニューウェーブ作品を多く出版するというふれこみで、SFファンの大きな注目を浴びた。一九七九年三月には『SFアドベンチャー』(徳間書店)、六月には『SF宝石』(光文社)が創刊され、SF雑誌は一気に増える。

日経に掲載されていた大森望のコラムの直近の回でもほぼ同様のことが書かれていた。
次はP55の注釈。

(14) コバルト文庫では氷室冴子(一九七七年デビュー)、新井素子(一九七七年デビュー)、久美沙織(一九七九年デビュー)が作品を発表し、女性たちの強い支持を受ける。新井素子『奇想天外』SF新人賞の出身であったために、男性の読者も多かった。新井素子経由でコバルト文庫を読むようになった男性も多いと思われる。また一九八〇年代に入ると、菊地秀行ソノラマ文庫で『魔界都市〈新宿〉』シリーズ(一九八二年〜)、『吸血鬼ハンター”D”』シリーズ(一九八三年〜)を開始する。夢枕獏は同じくソノラマ文庫で『キマイラ・吼』シリーズ(一九八三年〜)を開始する。菊地、夢枕ともに読みやすい文体を特徴としていた。『吸血鬼ハンター”D”』と、『キマイラ・吼』の表紙はいずれも天野喜孝であり、その美麗な絵でも人気を博した。

新井素子さんはデビューがSF誌だったため最初はファンのほとんどが男性だったらしい。コバルト文庫で書くようになってからその比率が逆転したとエッセイで語っておられた。どれほどの男性ファンが新井素子さんがきっかけでコバルトに流れたのか、当時の詳しい状況はよく判らない。俺自身がコバルト文庫と出会ったのは新井素子作品を読む前だった。
あと、天野喜孝の表紙の魅力はとてつもないものがあり、俺の友人などは天野絵の表紙買いをしていた。俺も天野喜孝が表紙を描いていなかったら菊地秀行の作品は読まなかったかも知れない。
最後に付録の「おたく年表」。「テレビアニメ」「劇場アニメ」「テレビ特撮」「劇場特撮」「SF」の項目別に出来事や作品が列挙されており、「SF」の1980年の項(P.226)に、

7月 新井素子いつか猫になる日まで

の記述がある。「SF」の項で小説タイトルが記述されているのは他に星新一「人造美人」と「ボッコちゃん」(新潮文庫に入った)だけで、他にあまたある著名な作品を差し置いて何故ここに『いつか猫になる日まで』が登場するのかという疑問が湧くが、コバルト文庫集英社文庫コバルトシリーズ)への初登場作として後の小説ジャンルに与えた影響など何らかの意味づけを持たせたいのかも知れない。
新井素子さんの名前が登場するのは以上三箇所である。

関係ないが、秋田書店が発行していたアニメ誌は『ジ・アニメ』でなく『マイアニメ』である。『ジ・アニメ』は近代映画社。『ジ・アニメ』読者だったのでちょっと気になった。それから『POPEY』の正しい綴りは『POPEYE』。