『the 寂聴』第9号。

瀬戸内寂聴責任編集のムック。「少女小説の時代」という特集が組まれている。
瀬戸内寂聴のことはよく知らないんだが、元々同人雑誌で純文学を書いていて少女小説で作家デビューした後文壇方面に戻って作家として名を成した人らしい。デビュー作を再録するなど主に寂聴の少女小説作家時代を振り返る特集だが、少女小説の歴史なども取り上げている。同じ経緯を辿った津村節子との対談「はじまりは少女小説だった」、少女小説史概略、著名人に聞いた「わたしの好きな少女小説」アンケート、折原みと桜庭一樹へのインタビュー、などが掲載されている。
新井素子さんの名前は2箇所に登場している。一つは瀬戸内×津村対談の下段余白に掲載されている「少女小説 関連年譜」(P.52-61)のP.61、1980年代の項目。

一九八〇年代
コバルト文庫などで氷室冴子田中雅美久美沙織新井素子らが活躍


一九八〇(昭和55)年 新井素子グリーン・レクイエム』(奇想天外社)、刊行


一九八〇(昭和55)年 氷室冴子クララ白書』、(コバルト文庫)刊行


一九八一(昭和56)年 新井素子星へ行く船』(コバルト文庫)、刊行


一九八四(昭和59)年 氷室冴子なんて素敵にジャパネスク』(コバルト文庫)、刊行

80年代の作品として挙げられてるのは上記の4作のみ。尚、P.88からの「少女小説年代記――9大事件でたどる少女小説100年史」では、1980年代の氷室冴子の活躍をエポックとして取り上げているが新井素子さんの名前は出て来ない。
二つ目は桜庭一樹のインタビュー「少女は感情の増幅装置――オススメの少女小説十冊」(P.102-107)のP.103。自身の読書歴を振り返っての発言。

中学生ぐらいになった頃には、ちょうどコバルト文庫がすごく流行っていました。私は、氷室冴子先生が大好きでした。新井素子先生の作品も好きでした。その頃の少女小説というのは、大人向けの難しい文学をたくさん読まれた先生方が、少女向けに作品をお書きなっていて、読みやすいんだけれど、物語の骨組みがしっかりした小説が多かったと思います。

脱字は原文のまま。桜庭一樹は1971年生まれなので、中学生の頃というと1984-1986年だろうか。新井素子さんの著書では、

などが出版されている。個人的な印象ではたぶんこの頃が新井素子ブームの絶頂期だったのではないかと思う。