「S-Fマガジン」2004年10月号。

ダーティペアの大復活』刊行記念で「高千穂遙×安彦良和対談」が掲載されている。「コン・バトラーV」など当時両者が関わったアニメのことを語った内容が面白い。
読んでいて、2月8日の日記id:akapon:20040208#p1の内容を思い出したので書いておく。

面白いのは、高千穂遙新井素子の両者が折にふれて、自分たちは普通の小説を書いているだけで、ジュヴナイルSFだとかライトノベルとか呼ばれることに戸惑いないし不満を感じるという意味の発言をしていることだ。

この三村美衣が書いた文章を裏付ける発言をP.166で高千穂遙がしている。自分の絵がその時描いていたアニメの絵に影響されて変わってしまうことがあった、という安彦の発言があり、

安彦 うん。小説家もそういうことあるのかな。いろいろ並行して書いてたりするけど?
高千穂 いや、あんまりない。僕は、ジュブナイルとかそういう意識を持たないで書くから、一応、すべて普通の小説として書く。あとは受け取るほうの問題だから。

高千穂遙は「すべて普通の小説として書く」ようだ。対して新井素子さんは、昔の新聞記事など読むと、同世代の女の子向けに書いている意識が強いようである。新井素子さんの名前を出すことについては、三村の文章にはやはり素直に頷くことができない。
ついでに、「ダーティペア」が女性の一人称で書かれたことについて。同じくP.166より。

安彦 一人称もけっこう普通になった?
高千穂 あの当時、一人称というと第一人者は宇能鴻一郎だった。

興味深い話題である。あの当時というのは、「ダーティペアの大冒険」の初出が「S-Fマガジン」1979年2月号で、第1巻『ダーティペアの大冒険』の発売が1980年5月だから、その頃のことだろうか。
とすると、その時点で新井素子さんはすでにデビューしており、いくつか短編を発表している*1。ちなみに『いつか猫になる日まで』でコバルト文庫に登場するのは1980年7月。当時、高千穂遙新井素子さんの小説を読んでいたか、とか、読んでどう思ったのか、が知りたい。
宇能鴻一郎がその頃書いていた作品はよく判らない。