自己紹介。
昨日の日記で新井素子が受けた平井和正の影響に触れて、関連して思い出したことがあったので書いてみる。久美沙織が「新井素子のマネはしちゃいけない」と力説した、作中における登場人物の自己紹介の仕方についてである。
新井素子の「雨の降る星 遠い夢」(1981年)から実例を挙げてみよう。久美沙織の著書で触れられていたのはこういうパターンのこと。
いい加減文句言ってんのも疲れたから、この辺で自己紹介するね。
あたし、森村あゆみという。二十歳、ジャスト。約九ヵ月前にわけあって家出し、ちょっとした事件に巻き込まれ、そこで太一郎さん――山崎太一郎と知りあった。で、火星くんだりまで彼について来て、彼が世話してくれたアパートに住み、彼のつとめ先の水沢総合事務所――普通は、やっかいごとよろず引き受け業事務所っていってる――につとめることになった。
新井素子は一人称で書かれた小説中でしばしば登場人物にこのような自己紹介をさせている。久美沙織はこれを新井素子のオリジナルと認定していた訳だ。しかし、平井和正と新井素子を両方とも読んでいれば、このパターンが既に『狼男だよ』(1969年)に出てきていることに気付くだろう。主人公、犬神明の自己紹介場面はこんな風である。
ところで、取りこみ中のことだから、手早く自己紹介をしておくと、おれの名は犬神明といって一匹狼のルポ・ライターだ。おれはいろいろ特技を持っているが、そのひとつは、汚物の臭いに敏感な犬みたいに、厄介事を嗅ぎだす能力だ。これは生まれつきの才能で、ひょっとすると例の超能力とやらの一種かもしれない。あちこちうろつきまわっているうちに、ひょっと気がつくと、厄介事のどまん中に跳びこんでいるというしかけになっている。
新井素子は「犬神明が初恋の人」と仰るくらい平井和正の小説の愛読者であることを思えば、彼女が小説を書くに当たってこのパターンを踏襲したという推測も成り立つ。ただ、”平井和正のオリジナルを新井素子がマネした”のかというとそれも違う気がするのである。ここからは推測でしかないんだが、翻訳物のハードボイルド小説にこのパターンの先行者がいそうに思うのである。『狼男だよ』や「星へ行く船」シリーズの物語がハードボイルドの体裁を借りていたり、「星へ行く船」にレイモンド・チャンドラーの名前が何度か登場してきたり*1と、両者の創作物は共通してハードボイルドものの影響を受けていることがわかる。とすると、その小説作法をも自然と(意図的に、でもいいんだけど)踏襲することになったんじゃないか。つまりあの自己紹介形式は平井オリジナルでも新井オリジナルでもなく、すでにある界隈では一般化していた形式を自作に使用したものなのではないか、という推測を言いたかったのである。
実際の処がどうであるのかは、俺はハードボイルド小説を一つも読んだことがないのでよく判らない。検証は課題の一つとしておく。
*1:「やっかいごとよろず引き受け業」てのがハードボイルドだよね。ついでに上記二つの自己紹介に共通する単語が一つある。それは「厄介事(やっかいごと)」。