宇能鴻一郎四度。

新井素子さんが宇能鴻一郎文体に言及している対談をとうとう発見した。ただし「八年ぶりにSFの話をしよう」というタイトルのこの対談のお相手は菊地秀行ではなく平井和正であった。掲載されたのは『SFアドベンチャー』1983年6月号である。この号は俺が初めて買った『SFアドベンチャー』であり、またこの対談は『ウルフ対談』という平井和正の対談集にも収録されている。俺は都合何度も読み返している訳で(この調査のためにも読んだ)、今まで見つけられなかったのは俺の手落ちと言う他ない。申し訳ないったらありゃしない。がっくし。
さて、その記述はこんな風である。1983年6月号P.159、『ウルフ対談』P.131より。

平井 (略)しかし、新井素子ちゃんはポルノチックな描写は全然ないんですか。
新井 やっぱりいまのとこないみたいです。
平井 素子ちゃんが突如すごいポルノ小説を書き始めたなんて。(笑)そういうのわりと期待してる人がいたりして。(笑)
新井 よく言われるんだけど、文体が似てますので、私がもしそういうの書き始めると、きっと宇能鴻一郎さんと区別が付かなくなります。(笑)

軽い冗談としてさらっと流すような会話ではあるが、ご本人にそういう認識が一応はあったことを示す例として覚えておきたい。
で、あとは宇能鴻一郎の「告白文体」なポルノ小説を読んで検証してみたい。例としてはこんな感じの文章である。『おんな体育教師』(amazon.co.jpISBN:4195992257)より。

あたし、女子体育短大を出たばかりの、新任教師なんです。腕も腿もピチピチした、二十歳なんです。悩みといえばお乳が大きすぎることくらい。でも体育ひとすじだったので、男性経験、ぜんぜん、ないんです。

一人称「あたし」の二十歳のお嬢さんが切々と自らの経験を語る件のこの湿っぽさは新井素子さんの文章にはないものではあるが、似てると言えば言えないこともない。これを全文で確認したいのである。しかし、宇能作品は図書館には置いてないし*1、この辺りの古本屋にもなかったし、ネット古書店では文体を確認出来ない上に異様に高いし、という次第で入手することができずなかなか困っている。どうしたもんだろう。タイトルから当たりをつけてネット古本屋で買うかな。
あと「告白文体」という括りでは太宰治も読んでみた方がいいと思われる。星新一が比較したその文体の類似している処など確認してみたいのだが。

*1:芥川賞受賞作『鯨神』はあるんだけれども。